信仰の母ハンナ
サムエル記上1章9-20節
今日は母の日です。お母さんに感謝をささげましょう。聖書には敬虔な信仰を持つお母さんが登場しますが、今日は信仰深いお母さんの祈りによって、神様から赤ちゃんを与えられたハンナについて学びましょう。
第一は、ハンナの悲しみです。
エフライムの山地にエルカナという人がいました。エルカナには2人の奥さんペニンナとハンナがいました。ペニンナには子供が何人かいましたが、ハンナには子供はいませんでした。当時は、子供がたくさん与えられることが祝福でしたので、ハンナはとても悲しい思いをしていました。その上、ペニンナは子供がいないハンナを憎み、ひどくいじめていたので(1:6)、ハンナの心は痛み、涙を流すことが何度もあったのです。
1サムエル1:5,6
1:5 また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。
1:6 彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。
その頃、家族で、毎年シロにある神殿に行き、神様に犠牲をささげていました。いつものようにシロに出かけ、そこで食事をするのですが、ペニンナと子供たちは人数が多いので、たくさんの食事が出されましたが、ハンナは子供がいないので、ただ一人分だけです。ハンナはとても悲しくなって泣きました。これを見ていたエルカナはそばに来て「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」(1:8)と優しく慰めますが、ハンナはそれだけでは、満足できませんでした。
第二は、ハンナの祈りです。
シロで家族が飲み食いした後に、ハンナは一人立ち上がって神殿に行き、「心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣」(1:10)きました。
ハンナの心の苦しみ、憂い、悩み、どこへも持って行き場のない悲しみ、確かに、主が胎を閉じられたことが、ハンナの不幸の始まりでしたが、彼女は、その結果、以前にも増して神の方へ近づいて行き、堰を切ったように涙と共に、主の御前でハンナは、このまま苦しみと悩みの中に留まるよりも、「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」と誓願して祈ります(1:11)。
1サムエル1:10,11
1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。
1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
これは、ハンナの涙の祈りの中から出たものですが、人は、どうしようもなく行き詰った時、聖霊はこのような真実の祈りに導いて下さると共に、切迫した祈りは、その人の内に具体的な形をもって、神に応答する信仰による決心を引き出すものです。
第三は、祭司の祝福です。
ハンナの祈りは長く続き、神殿の柱のかたわらにいた祭司エリは、ハンナが酔っていると思い「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」(1:14)ととがめますが、ハンナは「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」(1:16,17)と、ハンナはエリに申し開きをします。
事の次第を知ったエリは祭司としてハンナのために「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」(1:17)と主の祝福の祈りを献げます。
そこでハンナは「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」(1:18)と言ってその場所を離れ、帰ります。
1サムエル1:14,16,17
1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」
1:17 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
第四は、ハンナの喜びと勝利です。
祈りから帰ったハンナの顔は、「もはや以前のよう」(1:18)な、悲しげな顔ではなく、見違えるほど明るくなっていました。ハンナは自らの祈りのゆえに、エリの祝福の言葉を聞いて、神様がお祈りに答えて、子供を与えて下さるという信仰の確信と勝利が与えられ、子供を神様にささげる決心による平安、悲しみと憂いから解放されたのです。
やがて、神様は、エルカナとハンナに赤ちゃんを授けられ、名前をサムエルと名づけました。この名前は「神様の名」という意味で、サムエルは、ハンナが「私がこの子を主に願」(1:20)い、祈って生まれた子供だからです。
ハンナも神様に約束した通り、乳離れしたサムエルを神様の御用のためにおささげしました。このようにして、神様の深いご計画の内にハンナの祈りによって、イスラエルの国にとって、大切な預言者サムエルが誕生したのです(1・19,20)。ここから教えられることは、4つあります。
1サムエル1・18,19,20
1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。
1:19 翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。
1:20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。
1つ目は、私達は偉大な預言サムエルの誕生の背後に、信仰の母ハンナの涙の祈りがあったことを忘れてはなりません。私達も、私達のために献げられる尊い母の祈りを深く覚え、心から感謝しましょう。
2つ目は、祈る母ハンナが、祈るサムエルを育てました。祈る人は祈る人を育てます。私たちも祈りの人ハンナのように、神様に用いられる祈りの人になりたいものです。
3つ目は、ハンナには、現代のような、子供は造るもの、親の所有物で、どうにでもなるものという意識はありませんでした。徹底して、子供は神の賜物としてとらえられています。子供は神とのかかわりで考えなければなりません。
4つ目は、人間的な母親の気持ちとして、乳離れしたばかりの子供をすんなり手離すことなど有り得ましょうか。たった一人の子を手離すことは、跡継ぎとすべてを失うことであって、ハンナには何も残らないように見えますが、ハンナに残されたもの、それは神を真に信頼して生きることを、信仰によって確信されたのです。それは苦難・試みによって培われ、成長していったと言えます。
「・・がありさえすれば」という消極的な信仰から、「・・がなくても、たとえそうでなくても」という積極的に現状を受け入れ、神にすべてをゆだねる信仰の姿勢と、苦難・試みをどう受け止め、霊的・信仰的成長の糧とするかが、人生に意味を深めることとなり、これこそ現代人が失っている神の祝福であり、教育の原点がそこにあると言えます。「お母さん、ガンバって」。
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