キリストの心を持つ人
コリント人への手紙Ⅰ2章14節-3章3節
私たちが正しい教会形成を心がけるために何が大切か?このことはいつの時代でも問われる問題です。教会形成を妨げるものとして、教会員相互の分裂・分派があり、その中には自らを知者だと自称し、高ぶって他を見下す者がいることと、その原因は霊的な問題にあることをパウロは、コリントの教会を通して語っています。来週はペンテコステ、聖霊がくだり、教会が建てあげられた記念すべき日を前に、今日は霊における3種類の人間を取り上げ、「キリストの心を持つ人」について考えてみましょう。
第一は、生まれながらの人間です。
人には、誕生日が一つの人と、二つある人がいます。
一つ目は、お母さんのお腹の中から生まれた、誰にもある誕生日です。でも、もう一つの誕生日は、ある人とない人がいます。
自分の罪が分かって、神様にお詫びをし、イエス様が十字架で私の罪の身代わりに死んでくださったことを信じ、心が新しく生まれ変わって、神の子とされた日が、二つ目の誕生日です。身体の誕生日だけしか知らない人も、二度目の誕生日をもつことができます。聖霊は、私たちを罪から救い、神の子どもとするために、今も働いておられるのです。
この「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。」(1コリント2:14)。「また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは」(1コリント2:14)、この世の知恵によっては理解することができず(2・11~13)、「御霊によって」でなければ「わきまえる」ことが出来ないからです。人は御霊を内にいただかない限りは、御霊の賜物を知ることはできません。
1コリント2:11-13,14
2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
2:13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
第二は、肉に属する人です。
「肉に属する人」(1コリント3:1)とは「キリストにある幼子」(1コリント3:1)とあるように、イエス様を信じていても、聖霊に満たされていないので、せっかく御霊を頂いているのに、霊の人にふさわしく成長していない人です。そして、肉の人は、神様を知らないわけではないのですが、神様中心ではなく自己中心な人で、イエス様の心を持っていません。
1コリント3:1
3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
具体的には、自分の知恵を誇り分派を起こす人々を指します(3・4、5)。彼らは「肉に属する人」(1コリント3:1)であり、パウロの与える霊的な食物を消化する力がありません。幼いままの霊的状態に留まっているので、わがまま、えこひいき、告げ口、憎しみ、ねたみ、いじめ、自慢、教会の中で「ねたみや争い」(1コリント3:3)に明け暮れ、「ただの人のように」(1コリント3:3)振る舞い、教会を乱す人で、トラブル・メーカーとは、こういう人を言います。私達も注意したいものです。
1コリント3:3,4,5
3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
3:4 ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
第三は、御霊を受けている人です。
霊の人とは「御霊を受けている人」(1コリント2:15)のことで「すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」(1コリント2:15)。御霊を内にいただいた霊の人が御霊に属するすべてのことについて判断をする際には、この世の知恵を持ち込む必要はなく、内にいます御霊御自身が判断をして下さるからです。
1コリント2:14,15,16
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。
御霊を受けている霊の人のことをパウロは、「キリストの心があるのです。」(1コリント2:16)と述べています。霊の人はキリストの心を知るだけでなく内に持つのです。そしてキリストの心を持つ人は、霊に属するすべてのことを判断するのです。
霊の人は聖霊に満たされているので、イエス様と同じ愛の心を持っています。赦す心、人を思いやる心、人を導き、励ましたいと願う心があります。イエス様を心の中にお迎えしているので、恐れはありません。どんなことが起こっても喜ぶ方法を知っているし、何があっても感謝することができます。そして、イエス様のことを伝えたいという願いが起こされます。
聖霊を受けるということは、個人的な体験であると共に、教会の交わりと、教会の一切の働きは、個人的な体験をした皆さん一人一人が、御霊によってなされています。ゆえに御霊に属する霊の人は教会の徳を高め、教会の一致と成長をもたらすことのために有益な者となります。ですから、教会が教会として正しく一致し、宣教のわざをするためには、キリストの枝としての自覚と、力量にふさわしく働く力によって結び合わされ、一人一人が御霊に満たされ、御霊に自らを明け渡した霊の人として歩むことが重要になってきます。
人が教会においてどのように生きているか。それがその人が霊の人であるか、それとも肉に属する者であるかの判断の大切な基準となります。
第四は、キリストの心を持つ人です。
イエス様は少しも悪くないのに、私たちのような醜い心の者の身代わりになって、十字架で死んでくださいました。罪が分からないで滅んで行く私たちを見過ごしにされないで、自分の方から走り寄って助けてくださるのが、イエス様の心です。自分が傷を受けること、痛みを負うことなど計算しないで与える愛です。私たちは、イエス様のお心には程遠い者です。また、自分の努力でイエス様のようにすることはできません。
けれども、ペンテコステに降られた聖霊が私たちの心に住まわれるなら、イエス様の心を与えてくださるのです。きよい神様は、汚いままの心にお宿りなさることはできません。罪を悔い改めて、イエス様の血潮によって洗われ、きよくされた心にお住まいになります。
まだ二度目の誕生日を迎えていない人は、イエス様を信じましょう。まだ自分は肉の人だな、と思った人は、悔い改めて聖霊を心の中心に迎えましょう。そして、皆が霊の人にされて、神様の御心を行う人にしていただきましょう。聖霊は、信じて求め、従う人の心に来て下さいますから、御霊に満たされ、キリストの心を私達の心の内に頂いて、謙遜と柔和をもって、教会を建て上げるために労する者とされましょう。
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