義のために迫害されている者(その2)
マタイの福音書5章10-12節
先週は、義のためになぜ迫害されるのかを学びましたが、今日は、迫害に対して、なぜ喜べるのかを考えてみましょう。
第一は、迫害に対する姿勢には、大きく分けて3つあります。
その1、「できるだけ迫害を避けよ」です。迫害されるのが好きな人はいないでしょうが、「この町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。」(マタ10:23)とイエス様が語られるように、良心を損なわない限り、義を少しも放棄しないですむため、また自分の身を守るために、出来るだけ迫害を避けるようにと教えています。
マタ10:23
10:23 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
その2、「迫害を正しく理解せよ」です。イエス様は、迫害に会いさえすれば幸いだ、とは言っておられません。義のために迫害されるなら、つまり、神のみこころに従って生きていながら、なお反対やあざけりに会うなら、むしろ喜びなさい、と言われるのです。ですから自らの失敗や愚かさのゆえに悪く言われたり、わがままや怠慢を批判されているのに、「自分は神に忠実だから非難されるのだ」と開き直るなら、実に愚かなことです。
私たちは自らを欺いて、自己正当化のためにこの教えを利用しないように気をつけ、迫害を正しく理解することです。
その3、「キリストのための苦しみをも賜わった」のです。クリスチャンになったら、必ず繁栄する、いろいろなことがうまくいくようになる、という考えがあります。また、経済的に豊かで、社会も安定している日本に住む私たちは、いつのまにか犠牲を払うことなしに、キリスト者としてやっていけると思いがちですが、私達は、「キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わっ」(ピリピ1:29)ていることを心にとめましょう。
ピリピ1:29
1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。
第二は、なぜ喜ぶことができるのかです。
その1、迫害を避けたり、逃げたいと願うなら、キリストの弟子ではありません。なぜなら、パウロは「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受け」(2テモテ3:12)るからです。もし迫害を逃れるならば、義のために責められる者に与えられる祝福を逃がし、「天の御国はその人のもの」(マタイ5:10)にできません。
2テモテ3:12
3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
マタイ5:10
5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
その2、聖書の中や教会の歴史においても、本当に神を愛し、恐れ従った人々は、様様な迫害を受け、多くの殉教者が生まれました。今なお牢にある者、生命が脅かされている人もいます。
そのような私たちがどうして喜ぶことができるのでしょう。まして、うれしさのあまり「喜びおどりなさい」(マタイ5:12)とあっては、気が変だと思う人もいるでしょう。そうです。生まれながらの私たちには、考えられないことです。しかしそれだからこそ、そこにキリスト者の本当のすばらしさが表れるのです。神の力の極みがあるのです。
では、私達がどうして喜ぶことができるのか4つあげてみましょう。
1、人々が、キリストのゆえに迫害される時、「喜びなさい。喜びおどりなさい」(マタ5:12)。また、人は自分を弁護するために、キリスト者をののしり、「ありもしないことで悪口雑言を言」って(マタイ5:11)、迫害する時にも、「喜びなさい」。「(なぜなら)あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害され」(5:12)たからです。
2、世の初めから存在したすべての義人たちさえも迫害されたのですから「喜びなさい」。なぜなら、迫害によって、自分が、誰に属しているかを、知ることができるからです。
3、「天においてあなたがたの報いは大きいのだから」(マタ5:12)。この報いは、契約の血によって買いとられたものであり、あなたの苦難にも比例して、無代価で授けられるものですから「喜びおどりなさい」。
私達は、天国においての報いを、世との妥協によって失なわないように注意したいものです。
マタ5:11,12
5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
4、ヨハネ15:9でイエス様は、「あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」(ヨハネ15:19)と語られたように、キリスト者は、この世の者でないことがよくわかります。つまり、私達の国籍が天にあること、私達は地上では旅人であり(ヘブル11:13)、やがて神のもとに帰る者であり、すでに、地上で苦しみを受けられたイエス様ご自身と、私達が共に苦難・困難・迫害を体験できるからです。
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらす」(コリ後4:17)ことを知って「喜びおどりなさい」。
第三は、神様のみこころに従う弟子となる代価としての迫害です。
イエス様は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)と語られましたが、それは、ご自分に従がおうとする人々に、弟子となることの代価をよく考えるようにと言われ、何よりも自分を捨て、犠牲をはらわなければ弟子となることはできない、とまで語られたのです。
皆さんは神のみこころに従うことを第一に求め、不正やごまかしを拒んでいるでしょうか。きっぱりと、しかし穏やかな態度で、断るべきことを断っているでしょうか。
「天の御国は近いのですから」、みなさん、聖霊の力によって、迫害を恐れないで、主にある平安と勇気をもって、大胆にキリストを証ししましょう。
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