人の創造
創世記1章26節-2章7節
聖書の天地創造の記事の中で、1,2章にわたって人間の創造が述べられているのは、人間が「創造の冠」として特別な存在だからです。
今日は、どのような点で他の被造物と違うかを学びましょう。
第一は、神様のかたちに造られたという点です。
先週は、神様がどのように天地を創造され、すべてを見て、良しと満足されたかを学びました。最後に神様は「これらのものを治めるために」ご自分のかたちに人を創造し、男と女とに創造されました。「われわれのかたち」(1:26)とは、英語の聖書にはイメージと訳されていますが、神様は私達を、神に似たイメージ、神に似た性質を持つ者として造られたゆえに、私達は神様に祈り、賛美して心を通わせることができるのです。「人間は考える葦」であると言ったパスカルというフランスの学者が「人の心には神の形をした穴がぽっかりと開いています」と言いましたが、この心奥深くに開いた穴は、神様だけが埋めることができます。神様を信じ、心の王座にイエス様をお迎えする時、初めて本当の平安を得ることができるのです。なぜなら、人は神のかたちにかたどって造られ、神と交わるように造られたからです。
創世記1:26
1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた
第二は、神の性質に似た者として造られたという点です。
神様は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」(1:26)と言われましたが、神は見えないお方ですから、かたちといっても外面ではなく、「知性・感情・意志をもった存在」としての人格性、「清く歩みたいと願う存在」としての道徳性、「霊なる神と交わる」存在としての霊性、「他の人間と交わる存在」としての社会性といった内面のことを意味しています。唯一の神であられるのに「われわれ」と言われているのは、三位一体の神を暗示しているのでしょう。だから神は、人を「神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(1:27)のは、三位一体の神が愛し合われたように、人間を愛し合う存在として創造されたのです。
創世記1:27
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
人間は最初、このような高貴な存在として創造されました。いわゆる「性善説」です。しかし、罪が人の中に入り込んで以降は、「性悪説」にならざるを得ませんでしたが、神のかたちそのものであられるイエス様が、人間として生まれたことによって、人は「造り主のかたちに似せられてますます新しくされ」る道が開かれたのです(コロサイ3・10)。
コロサイ3・10
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
第三は、土のちりで造られ、神の息で生きる者とされたという点です。
神様は他の生き物をつくる時、言葉だけで創造されました。しかし、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(2:7)とありますように、特別な存在として造られました。それはどういう意味かと言いますと、人が、霊的な存在として造られ、神の息・命の息を吹き入れられた時、人は生きた者となったということです。ここが、人間と他の動物が区別される重要なところです。神様は私達に、自分の意志で考える力や、感じたり、話したり、愛したり、神様と交わる力を与えて下さいました。2:15節以降を読みますと、人は神様と自由に語り合っていることでお分かりでしょう。神の息によって生かされたからにほかなりません。
創世記2:7
2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
皆さんは学校で人間は、サルから進化したと学んだことでしょう。
しかし、イザヤ43・4には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とありますように、神様は私たち人間をどんなものより尊いものとして愛して下さっていることがわかります。なぜなら、神様が私達人間を造って下さったからです。
イザヤ43・4
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
多くの人々はこの真理を知りません。神の息がなくても、神と交わらなくても、生きていけると考えるからです。それは「人の罪」の結果です。神によって生かされていることを認める時、私達は初めて、創造された時の本来の人になれるのです。
第四は、造られた人間の責任は、地を治め、支配するという点です。
神様は人に「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(1:28)と言われました。神のかたちに造られた人間は、被造物を秩序正しく保つ責任を委ねられたのです。神様が「従えよ」とか「支配せよ」と言われたからと言って、人間の欲得で、勝手気ままにするならば、地球はバランスを崩してしまいます。
創世記1:28
1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
神様の望まれた世界は、イザヤ11:6-8で語るように「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。」(イザヤ11:6-8)世界ですが、現実には、自然界も人間界も争いが満ちています。特に人間は自らの繁栄のために、自然界の多くのものを犠牲にしています。たとえば、自動車や電気製品は人間の生活を便利にしましたが、それによって二酸化炭素がどんどん増加し、その結果、地球温暖化が進み、異常気象や酸性雨をもたらしています。また森林の乱伐による砂漠化も自然破壊と言えましょう。人間は、自分が繁栄することを求めるだけでなく、神が創造されたこの自然界を治めるべき重大な責任があるのです。
神様は人を、他のどの被造物とも違う存在として造られました。神と交わりをもつ時、神のかたちを保ち、他の被造物を、秩序正しく治めることができるのです。この基本的な真理を、どんな時にも忘れないで、「イエス様なら、どうされるか」、イエス様のみこころを常に考えつつ、行動させて頂きましょう。
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