2007年8月12日 日曜日

3つの神の約束

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分28秒

創世記3章10-21節

神は、自分から身を隠したアダムとエバに対して、「あなたはどこにいるのか」と呼びかけて下さると共に、幾つかの約束を与えられましたが、今日はその後の二人の様子と神様の約束を学びましょう。

第一は、主の呼びかけです。
 「あなたは、どこにいるのか。」(3:9)と神様は人に呼びかけられました。神は女にではなく、まず男に語っていますが、それは男が神の前にまず責任を取るべき存在だからです。神はなぜ「あなたは、どこにいるのか。」と聞かれたのでしょう。神はもちろん人の居場所を知っておられました。神はこの質問によって、彼らが神から離れて迷い出ている存在であることを自覚し、その罪を悔い改めることを求められたのです。聖書が語る罪は、行ないよりも先に、神様との関係における心のあり方を問われたのです。

第二に、第一の約束は、神から離れた二人への神の恵みの約束です。3つことが考えられます。
その1、神から離れたアダムです(3:10-12)。
神を「恐れて、隠れた。」(3:10)二人に対して、神は「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」(3:11)と尋ねて、人が行動として犯した罪を指摘し、悔い改めを期待したのです。
創世記3:9,10,11
3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

それに対してアダムは、「私は食べたのです。」(3:12)と、その事実を認めていますが、その行動の責任が自分にあることは認めず、「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(3:12)と言って、エバに責任をなすりつけています。罪を犯す前には「私の骨からの骨、私の肉からの肉。」(二23)と言って喜んで女を迎えたその同じ口から、「この女が」という言葉が出て来たのです。しかも、「あなたが私のそばに置かれたこの女が」と言って、究極的には罪の責任を神御自身に転嫁しようとしています。
創世記3:12
3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

創世記2:23
2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」

その2、神から離れたエバです(3:13)。
神はエバに「あなたは、いったいなんということをしたのか。」(3:13)と。このことばの中には、女の犯した罪がどんなに大きな罪であるか、また主がその罪をどんなに悲しんでおられるかが示されています。それを女に伝えることによって、女が自分の罪に気付いて悔い改めるようにと願われたのですが、エバは、自分が食べた事実は認めたものの、その責任が自分にあることを認めず、「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」(3:13)と言い、悪いのは蛇であって自分は被害者であると主張したのです。ここにも悔い改めが見られません。
創世記3:13
3:13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

その3、神から離れたアダムとエバに対する神の恵みの約束です。ここでは3つのことを神は教えてます。
1、自分の罪の責任を他人に転嫁しようとしているこの二人の言い分を、神はあえて怒らず、聞いておられますが、ここに神の愛と忍耐深さを知ることができます。
 
2、人はなぜ悔い改めないのでしょうか。その理由は、人のプライドです。神の前に自分の罪を認めてしまうと自分の立場がなくなり、自分自身が否定され、自分が自分でなくなってしまうことを恐れたのです。しかし、神は、人が自分自身を回復するために、まず自分の罪を認め、その罪を悔い改めることを求めておられたのです。偽りのプライドにしがみついて罪を悔い改めない人は、かえって自分自身を失うのです。

3、神はすぐに二人を滅ぼすこともできましたが、神はそうなさらず、かえって彼らが救われるための約束を用意されたのです。これこそ、神の恵みと言うことができましょう。今でも神は、本来は滅ぼされて当然の者に悔い改めの機会を与え、人々が神に立ち帰るようにと、恵みの約束を提供しておられることを忘れてはなりません。

第三に、約束の第二は、サタンに対する滅びの約束です。
 へびに対して神様は、「おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」、そして「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。」(3:1415)と宣言されました。へびを通して、人を誘惑したサタンに対して、神様はサタンと人間の間に子々孫々にいたるまで、恨み(敵意)をおくと言われ、しかも「おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(3:15)と預言されました。このことは、やがて女のすえから生まれるイエス・キリストを通して、サタンを滅ぼすという人類の救いの預言をされたのです。

 「彼のかかとにかみつく」(3:15)とは、サタンが人々の心に働きかけて、やがて生まれてくるイエス・キリストを十字架に追いやり、十字架上で殺すということを意味します。また、「おまえの頭を踏み砕き」(3:15)とは、イエス・キリストの十字架と復活は、サタンのもたらした死と罪を滅ぼし、完全に勝利することを意味します。このように神様は罪に陥った人間に、サタンの滅びの約束をして下さいました。

 それでは、なぜ蛇=サタンはさばかれたのでしょうか。「おまえが、こんな事をしたので」(3:14)と言われていますが、これはサタンが神に反逆しただけでなく、神に造られた人間を誘惑し、自分と同じような神への反逆者にしたからです。このことによって被造世界の中に罪が入り、被造物全体がうめき苦しむことになったからです。
創世記3:14,15
3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

第四に、第三の約束は、罪人に対する救いの希望と回復の約束です。ここでは3つのことを考えましょう。
その1、アダムとは、土という意味ですが、神の約束を破った結果、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(2:17)と言われたように、神様は、アダムに「あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない」。そして「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(317:19)と。つまり「最後は死ぬ。そして、ついに土に帰る」という、自分に対する神のさばきを聞いたのです。
創世記2:17 
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

創世記317:19
3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

そのような中で、アダムはエバに対する神の裁きの言葉「苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」(3:16)と聞きつつ、彼は、妻の名を「エバ」「いのち」と命名したのです。ここにいのちへの希望を見ることができます。人は神様のさばきの中にも、神様による救いを信じることができ、いのちへの希望を抱くことができたのです。それは、やがて女の子孫が、サタンのかしらを踏み砕くという神の約束を信じることができたからです。
創世記316
3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

その2、神は女に対しては出産の苦しみ、人に対しては労働の苦しみというさばきを宣告していますが、これらは、確かに二人が罪を犯した結果ではありますが、神が人を憎んで与えられたものではありません。出産の苦しみの後には誕生の喜びがあり、労働の苦しみの後には収穫の喜びがあることを心にとめましょう。
 
その3、「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」(3:21)と記しています。それまで全ての生物を創造し、命を与えられた神が、ここで初めて動物を殺して皮の衣を二人の罪人に与えられたのです。そのように、二人のために、皮の衣を作って下さった神様は、やがて私達が汚れのない衣を着て神様にお会いすることができるように、罪なきイエス様の犠牲の血をもって救いを完成して下さることとイエス様の十字架の約束を暗示していると言えます。
 以上すべては、罪人の回復を願っておられるゆえに、神が与えて下さった約束なのです。
創世記320:21
3:20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。
3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

神の意志にさからい、自分勝手に生きようとする人や、今を生きている私たちは、たとい罪を犯すようなことがあっても、神様は、常にご自分のもとに帰るよう、そして、イエス様の十字架を信じるなら、罪赦され、永遠の命を頂くことが出来るよう、救いの計画を用意して下さいました。私たちの心が神様との関係においてどうでしょうか。もう一度、神様の恵みの約束を信じ、神様の憐れみを求めて歩ませて頂きましょう。

コメント (2) »

  1.      失礼いたします  
      「 心の病い・勝利法則」 のご案内です 
            ご笑覧ください。
         http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/

    コメント by  安達三郎 — 2007年9月1日 土曜日 @ 9時16分39秒

  2. 「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する」これこそ、一番の秘訣かもしれません。私も、このように歩みたいと願います。

    コメント by 管理人 — 2007年9月11日 火曜日 @ 22時16分27秒

コメント RSS トラックバック URL

コメントをどうぞ

HTML convert time: 2.871 sec. Powered by WordPress ME