2007年8月19日 日曜日

信仰によって、神とともに歩もう

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分48秒

創世記5章21-24節

 私達は、自分自身がどう生きるかを、神は私達自身にゆだねておられます。今日は、信仰によって歩み、特別な恵みを与えられたエノクの生涯について考えてみましょう。

第一に、エノクは、他の人々より短命だったということです。
聖書のアダムの系図によると、アダムは930年生きて死に、セツは912年生きて死にます。一番長生きした人はメトシェラで969年生きて、死んだと記されていますが、そんな中、アダムから7代目のエノクの寿命は365歳で他の人に比べると短命でした。そして、エノクは他の人とは違った歩みをしたことが記されています。

エノクについての記述は、5章の中でたった4節しかないにもかかわらず、彼は「神とともに歩んだ」(5:22,24)と、二度も繰り返されています。エノクこそ、「神とともに歩んだ」と明記される最初の人物です。
創世記5:22,24
5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

長寿を求める人々は、エノクの生涯が不幸だったと考えるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。現代でも、病気や事故などで若くして亡くなる人々もいますが、そういう人々は皆、不幸なのでしょうか。聖書は決してそのように記していません。永遠をご覧になる神にとっては、この地上の生涯だけが人のすべてではないからです。

第二は、エノクの目覚めです。
 エノクは65歳でメトシェラを生みます。ところがメトシェラを生んだ後、エノクの人生に大きな転機が訪れます。それは、メトシェラの誕生とともに、信仰に目覚め、その時より300年神様と共に歩んだのです。エノクは長男の誕生によって、大洪水のさばきが長男の死後来るという神の声を聞いたのでしょう。彼はその子をメトシェラ、彼が死んでからそれが送られると名づけました。メトシェラが死んだ年は大洪水の年に当たります。

第三は、神が取られたということです。
 この系図は、一人一人の最期を「こうして彼は死んだ。」という言葉で結んでいますが、エノクだけは「神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(5:24)と記していますが、これはどういう意味でしょうか。新約聖書のへブル書の著者は、はっきりと「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。」(ヘブル11:5)と記しています。エノクは死んだのではなく、「天に移された」のです。具体的に彼の肉体がどのようになったかはわかりませんが、当時の人々の目には見えなくなったのです。
ヘブル11:5,6
11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

 ヘブル書は、先の引用文の後、「移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」(ヘブル11:5)。つまり、神とともに歩むことは、神が喜んでくださることです。それゆえに、神はエノクを天に移された。彼が短命だったことは、彼の肉親や友人にとっては悲しいことだったかもしれませんが、主なる神は彼を喜ばれたからこそ、その地上の生涯は短かったが、肉体の死を経験せずに、天に移されたのです。

第四は、神様と共に歩む秘訣は何かです。
 エノクの生きた時代は、汚れが満ちた時代でした。人々は、神様を恐れず、無視して、自分勝手な生活をする罪に満ちた世界でした。そのような時代の中にあって、エノクは神様を信じ、神様と共に歩む、きよい勝利の生涯を歩みました。聖書にはエノクの生涯がこのように記されています。「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」(ヘブル11・5)と。そして、神様に喜ばれる秘訣は「信仰」だと教えられています。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11・6)。

第五は、信仰とは何かです。
 信仰とは、神の言葉への同意と不可能を行なうために必要な恵み、それは、すべきことを行なう力を神様から受け取るところからくるのです。
 永遠の愛の尺度をもって愛する神様をあなたは信じますか。そこにイエス・キリストの十字架の愛のしるしがありますが、それを信じますか。信じるなら、あなたはイエス・キリストの言葉を信じなければなりません。イエス・キリストのことばを信じるだけでは、本物の信仰とはいえません。そのみことばを日々の生活に活かされて始めて信仰と言えます。信仰を含め、実行する力と、あなたに必要なすべての力は、神より与えられる賜物(エペソ2:8)です。そして目に見えるところに焦点をあわせるのではなく、見えないが確かなところに、心の目を合わせること、それが信仰です(ヘブル11:1)。その信仰に立ったのがエノクであり、私達でなければなりません。
エペソ2:8
2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

ヘブル11:1
11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

つまり、①神を信頼すること、信頼するとは、神がおられることを信じることが大前提です。その上で、あなたの全生涯と、今を神に明け渡すことです。②信仰によって受け止めること。それはみ言葉をもって確信されます。③神と交わること。④神と共に歩むことです。これらがなされて、真の意味で神と共に生きる者とされるのです。

そのような人を神は見捨てるはずがありません。試練の中にあっても、神は脱出の道を備え、恵みと祝福の雨を降らせて下さいます。そして、確かなことが一つあります。それは天国の席があなたに用意されていると言うことです。たといこの地上における生涯が短くても、その日々を神とともに歩んだエノクのようにです。それを信仰によって受け取ることです。

 神から身を隠して生きていくか。それとも神とともに歩むか。それは一人一人が選択する必要があります。この系図の他の人々がどうであったか、聖書は言及していませんが、エノクについては、明確に神とともに歩む生き方を選び取ったことがはっきりと記されています。私達も、信仰によって、神様と共に歩むことを選び取って、日々を歩ませて頂きましょう。

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