2007年9月23日 日曜日

神の2つの約束

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分56秒

創世記8章1-22節
 和子は、今西播磨めぐみ教会で礼拝と女性集会の御用のために行っていますので、お祈り下さい。
前回は予告されていた大洪水が起こり、箱舟に入ったノア一家と動物たちだけが助かったところまでを学びましたが、今日は、私たちにとって、ノアの箱舟がどのような意味をもつかを学びます。

第一は、神様の守りと導きにより、新しい地が現われたことです。
 全地に水が満ちる中、「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた」(創世記8:1)後に、洪水による破壊は、地上の回復へと転換します。ここで、神がノアと箱舟を「心に留めた」のは、「わたしは、あなたと契約を結ぼう。」(創世記6:18)というあらかじめノアに示した契約のご意志に基づくものです。
創世記8:1
8:1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。

創世記6:18
6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。

 神は、ノアと結んだ恵みの約束を心に覚え、ノアと生き物を救うべく、地上の回復のみわざを開始され、「水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現われた。」(創世記8:3,4)。このように、神の恵みによって、とうとう洪水による水は枯れ、地は乾き、新しくされた世界が姿を現すのです。

第二は、神の命により、「いっしょに」箱舟から出たことです。
「ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。 第二の月の二十七日、地はかわき」(創世記8:13,14)、神様はノアに「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。」(8:16)と。こうして全ての生き物は、広々とした新しい地上に再び降り立つことができました。

ここで4つのことがわかります。
1、ノアは、箱舟から外を見て地が乾いたのを知っていましたが、自分の思いで行動せず、神の命令によって箱舟に入り、また神の命令によって箱舟から出たのです。
 
2、ノアとその家族は神の命令によって、「いっしょに」(8:15)箱舟から出て来ました。一年間も箱舟の中にいたのですから、我先にと飛び出して来そうなものですが、彼らは箱舟の中で喜びも苦しみも互いに分ち合って生活していたので、「いっしょに」新しい世界に踏み出したのです。

3、それと同時に動物たちも、「いっしょに」(8:16)連れ出しなさいという神の命令に従い、ノアたちと共に新しい世界に出て来ます。この動物たちは「おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。」(19)。この表現は創世記一章において神がこれらの生き物を「その種類にしたがって」創造されたことを思い起させます。すなわち神は洪水によって滅ぼした動物をいわば「再創造」するために、箱舟の中で生き続けた動物たちを用いられたのです。
創世記8:15,16,17,19
8:15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。
8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
8:17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」
8:19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。

4、ノアと全ての生き物が箱舟から出たことは、「それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるように」(17)と、神が命じられているように、これは神の恵みの招きであり、使命(ミッション)を伴っています。神が洪水を起こされたのは、いたずらに地上にあるものを裁くためではなく、この世界と神との関係を正しく築き直すためでした。そこには人間だけでなく、あらゆる生き物が、神の前に祝福され、増え広がるのです。
 これらから、人間が生きるとは、あらゆる体験を通し、神の命令に従う時、祝福を受け、神との関係を正しく築き、キリストのみ姿に築き直すことが目的であることがわかります。そして信仰が整えられ、成長していくのです。ですから、すべてが益とされるということです。
第三は、全焼のいけにえをささげたことです。
 ノアは箱舟から出た後、大洪水から助けられ、新しくされた地上に、もう一度立つことができたことを心から感謝を表すために、「主のために祭壇」(8:20)を築きますが、これは「祭壇」についての聖書の最初の記述です。ノアにとって、箱舟を出てからしたいこと、しなければならないことがたくさんあったに違いありません。しかし、箱舟から出てまず第一にしたことは、主への祭壇を築き、「すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、」(8:20)全焼のいけにえとしてささげ、神への礼拝を優先したのです。これは、罪の贖いと主の救いに対する感謝、そして新しい歩みに際しての献身を表すものでした。私たちもまず第一に神を礼拝し、感謝と献身を新たにすることから始めることが大切でしょう。
創世記8:20
8:20 ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

第四は、神の2つの約束です。
神様は、ノアがささげた全焼のいけにえの「なだめのかおりをかがれ」(8:21)たことは、神様がノアの献身と祈りを受け入れたことを意味しています。ノアがささげたいけにえを受け入れた「主は心の中で」(8:21)仰せになられたことは、2つの約束でした。

その1、神は、地を再びのろわないとの約束です。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい」(8:21)と。かつて「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になっ」て(6:5)人と生き物を滅ぼされましたが、今度は、「人の心の思い計ることは、初めから悪であるから」(8:21)決して滅ぼすことはしないと言われたのです。
創世記8:21
8:21 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

創世記6:5
6:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

矛盾するようですが、人は結局、罪人であり、初めから悪しきことしか考えられない。そのような罪人をその罪の故に罰するならば、そこには救いも赦しもありませんが、「ノアは神とともに歩んだ」(6:9)」人であったが、罪のない完全な人ではなかった。彼は神の憐れみを信じ、身代りの犠牲のいけにえをささげることによって罪の赦しとさばきからの救いとを求めたのです。私達は、動物ではなく、イエス・キリストの命の犠牲のいけにえ、つまり十字架の血をささげたことによって、神の裁きから救われるということです。
創世記6:9
6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

その2、感謝の礼拝と神の祝福です。
洪水によって、地はその自然の秩序を狂わせてしまった。しかし神は再び「地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」(8:22)と約束されました。人の生活と農耕に必要な自然の秩序が回復したのです。
こうして、箱舟をもってノアと生き物たちを救われた神は、彼ら残りの者を、新しくされた地上に導き、彼らを通して、世界に新たなる祝福を与えようとされたのです。
創世記8:22
8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

しかしその期限は、「地の続くかぎり」と限定し、やがてこの地の終りが来ることを暗示しています。
 ノアによって始められた新しい世界も、残念ながら再び人の罪の故に汚されて行く。根本的な解決は、主が送られる新しい天と新しい地以外にはないのです(Ⅱペテロ3:13)。
Ⅱペテロ3:12,13
3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

 神様の招きに応答し、箱舟に入ったものだけが、神様のさばきから救われ、全て神様が予告された通りになりました。このノアの箱舟の出来事は、イエス様の十字架の救いを指しています。罪と滅びから救われる方法は、ただ神様の約束を信じて従うことです。私たちは、罪を認めて告白し、イエス様の十字架が私の罪の身代わりだと信じるなら、誰でも罪が赦され、永遠の命が与えられます。イエス様を信じ、救いの箱舟である十字架の恵みを頂いた私達は、人を赦すことはそう簡単なことではありません。心の葛藤があります。しかしイエス・キリストの十字架の愛によって、互いに赦しあい、愛し合いましょう。

 

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