2007年9月30日 日曜日

神の契約のしるしの意味

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分12秒

創世記9章8-17節
洪水によって全てを一掃した神は、世界との新しい関係を築くべく、ノアたちに祝福と戒めとにじの契約を与えられましたが、今日は契約のしるしの意味について考えてみましょう。

第一は、創世を思い起こさせる回復と神の祝福で、3つあげられます。                  
1、生めよ、増えよです。
  神は、ノアとその息子たちを祝福して「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」(1)と言われました。神のさばきによって人類の大部分が滅ぼされた今、洪水後の新しい世界で、新しい人類の先祖となったノアと息子たちに再び神の祝福が与えられ、人間の罪と失敗にもかかわらず、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」という神の御計画には変更がなかったのです。
創世記9:1,2
9:1 それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。

 更に神は、「野の獣、空の鳥、・・これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。」(2)と言われましたが、ここで2つのことが教えられます。
創世記9:2
9:2 野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。

その1、洪水の原因は、人の罪ゆえであり、もはや動物や自然界を支配する資格がないにもかかわらず、神は動物を人間にゆだねられたことです。つまり、神の目的は、暴虐に満ちた世界を洪水で滅ぼしつくすことではなく、もう一度、創世の時のように、ノアたちにすべての生き物をゆだねられたことです。

その2、私達も罪ゆえ、滅びてもしかたのない者であるにもかかわらず、イエス・キリストは、自ら十字架をもって罪の身代わり(贖い)となって、罪の赦しを与えて下さいました。ですから、私達は、神にゆだねることです。そして、自然界を秩序正しく治めることを神は、人間にゆだねられたということは、神はあくまで人間を信頼し尽くしていたからと言えます。しかし、現実には、神から離れ、人間の罪ゆえに調和は乱れ、殺人・自然破壊されていることは悲しいことです。

2、食物です。
神様は「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。すべてのものをあなたがたに与えた。しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。」(9:3)と言われましたが、神様は、これからは、新しい地で生活するために、青草だけでなく、肉も食べることが許されたのですが、ただ、血のあるままで食べてはならないと、禁止命令も加えられています。血は贖いのために、神にささげられるものだからです。
創世記9:3
9:3 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。

3、人のいのちの尊さです。
 「わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。」(9:5)と主は言われましたが、神はなぜこれほどまでに人のいのちを尊いものとされるのでしょうか。
それは「神は人を神のかたちに」〈9:6)創造し、尊厳ある者として「お造りになったから」〈9:6)です。つまり、人を殺すものは、人を御自身のかたちに造られた神を侮辱し、神に反逆しているからです。それゆえに、人の血が流され、その命が損なわれてはならないのです(6節)。
創世記9:5,6
9:5 わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
9:6 人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。

このように考えるならば、自殺も罪です。私たち日本人には、いのちが神によって造られたという認識がほとんどありませんから、「死」を美化したり、死ぬことによって自分の責任を取るようなことをしますが、私たちは、人が神によって神のかたちに造られ、神との正しい関係を築くことを、神は求めていることを知る必要があります。

第二は、神の契約の虹です。
1、契約の主体は誰かです。
 神は二度と地をのろわないと言われましたが(8:21)、それをより確かなものとするために、「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。」(9:9)と語られました。この契約の発案者も、契約の主体も神御自身です。それ故「わたしの契約」と言われているのです。この契約の重要な点は、神ご自身がすべての責任を取って下さるということです。
創世記8:21
8:21 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

創世記9:9,10
9:9 「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。
9:10 また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。

2、契約の対象は誰かですが、それは、もちろん「ノアと息子たち」と「後の子孫」、及びノアたちと一緒にいるすべての生き物です(9:9,10)。人類の罪の故にさばきは罪を犯さなかった動物にまで及び、神の大洪水によって滅ぼされましたが、今度は、ノアの故に動物に至るまで主の契約の対象が拡大されたのです。やがてこの恵みはキリストの贖いを通して、被造物全体に及ぶことの預言でもあります(参照ローマ8:19-21)。
ローマ8:19-21
8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

3、契約の内容ですが、その内容は、「すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(11)ということで、その意味は、洪水が二度と起こらないということではなく、洪水によっては全地が滅びることはないということと、全地が滅びないということではなく、洪水によっては滅びないということです。
創世記9:11
9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」

第三は、契約のしるしで、3つの点があります。
その1は、この契約はノアと息子たち及びその当時生存していた生き物と、その子孫に、代々にわたって受け継がれる「永遠にわたって結ぶ契約」(9:13)で、一時的なものでないということです。
創世記9:13
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。

その2は、神が「虹」を契約のしるしとされたということです。なぜ虹が選ばれたのか。それは虹がどこからも見ることができることと、「平和」を意味しているからです。

その3、「しるし」の目的です。「わたしは、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(9:16)と言われるように、神は御自分の契約を忘れる方ではありません。そこには3つあります。
創世記9:15,16
9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」

1、神が雲の中に「虹」を置かれたのは、人間とその他のすべての肉なる生き物とを心にとめて、二度と地を滅ぼす洪水を起こさせないとの約束のしるしです(15、16節)。

2、神が洪水というような、ご自身の権利や力を実際に使って悪を滅ぼすのではなく、それとは異なる方法をもってこの世界を救い、ご自身とこの世界との関係を永遠に保つことのご決心のしるしでもあります。

3、神が永遠に人との親密な関係と交わりを望まれ、保持して下さることの保証であり、慰めと平安と希望のしるしでもあります。

第四は、ノアたちにとって虹は、神との契約のしるしであり、契約を思い出させ、保証のしるしでしたが、私達にとって何の意味かです。
神様は罪を憎まれますが、私達罪人を愛して下さいます。ノアの時代に洪水による滅びが起こされたのは、神様が人を憎まれたからではなく、罪を憎まれたからです。私達は、その人・相手を先入観や偏見、言葉や行動など外側を見て判断し、その人をさばき、許せないと感じます。しかし、難しい、イエス様の愛がなければできないことですが、その人を憎むのではなく、その人のうちに住む罪を憎むことです。なぜなら、神はひとり子を愛するほどに罪人である私達を愛しておられるからです。
 
同じように、私たちも罪をもったままでは、滅びてしまいます。このために、イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、三日目によみがえられたのです。ノアに神様が心をとめられ、虹の約束を与えられたように、私達にも、神様は心をとめられ、イエス様の十字架の愛のしるしを与えて下さったのですから、これからは虹を見る時、ノアと結ばれた神様の愛の約束を思い出すと共に、いつどんな時にイエス様が再臨されても良いように、イエス様の愛と復活を信じ、従がいつつ歩ませて頂きましょう。

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