信仰の父アブラムの生涯に学ぶ (その1)
創世記12章1-9節
アブラムは、のちのアブラハムのことですが、今日と次回の二回に分けて、「信仰の父」と言われるアブラムの生涯を通して、信仰によって生きるとはどんなことかを考えてみましょう。
第一は、神に信頼し、神の命令に従がうアブラムです。
アブラムの生まれ故郷はカルデヤのウルという町で(11:28)、現在のイラクの南部、メソボタミヤ文明の発祥の地です。この地方の人々は、月の女神ナンナを神として拝んでいました。父テラもほかの神々に仕えていました(ヨシュア24:2)。ある日、父テラと、その息子アブラムや孫のロト、妻のサライとを伴い、偶像に満ちたウルの町を離れ、「カナンの地に行くため」(11:3:1)に出発しましたが、カランまで来て、そこに住みます(11:32)が、アブラムは、そこにしばらく住んだ後、ある日、再び神様の声に従がって出て行きます。
創世記11:28,31
11:28 ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。
ヨシュア24:2
24:2 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。
11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。
当時は神殿や聖書、祭司や預言者もなく、真の神について誰からも教えられていませんでした。ただ彼の心に語られた方を真の神と信じたゆえに、彼はたとい親族であっても、偶像を崇拝する人々から決別し、真の神のみを信頼して、「信仰によって、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11:8)。これこそ信仰に生きる人の行動です。
ヘブル11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
神は、私たちの心が、これから導かれる道ではなく、むしろ導いて下さる神ご自身に心を向け、神に信頼することを願っています。
第二は、神からの祝福の約束を信じたアブラムです。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」(12:1,2)と約束されたばかりでなく、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(12:3)と、神様の大きなご計画が知らされ、75才のアブラムは驚いたことでしょう。しかし、「私はもう年だから、今さら知らない所には行けない」などと言わないで、祝福の約束を信じ、まことの神様が導いて下さるなら、きっと大丈夫と信じて再び旅立ちました。
創世記12:1,2
12:1 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
アブラムは、自分が祝福されるという理由だけで主の言葉に従ったのではなく、神様の祝福が、自分を通して全人類にも広がっていくという神の約束を知って、神様に従ったのです。信仰に生きる人は、神の祝福を受け取るだけでなく、さらに他の人々にもその祝福を分け与えていくのです。
このことは、その後の歴史の中で確かに実現していきます。アブラムの子孫は、神様が導かれた土地に定住し、イスラエルという一国家を形成し、真の神を信じる「神の民」されますが、最も重要なのは、神の子イエス・キリストがアブラムの子孫として生まれ、イエス様を信じる信仰によって、全人類が罪から救われるという最高の祝福が与えられたことです。「あなたの名は祝福となる。」(12:2)という約束は、イエス様によって完全に成就したのです。
第三は、神に礼拝をささげるアブラムです。
アブラムたちが導かれて来た地は、現在のパレスチナであり、当時はカナンの地を通って、「シェケムの場、モレの樫の木のところ」(12:6)でアブラムに、神様は現れ、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」(12:7)と仰せられたので、アブラムは神様を礼拝するために、「そこに祭壇を築」(12:7)き、さらにその後、「ベテルの東にある山(12:8)に進んだ時にも、天幕を張って「主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈」(12:8)ります。
神を信頼してここまで来ましたが、そこにはカナン人がすでに住んでいました。アブラムは、「彼らの土地を、神はどのようにして与えてくださるのだろうか」といぶかったかもしれません。だからこそ、彼は祭壇を築き、神の名を呼んで祈ったのです。そうせずにはおれなかったのでしょう。神を信頼し、また神が祝福を与えてくださることを信じていても、不安や恐れが全くないわけではありません。だからこそ、祭壇を築いて礼拝をささげ、祈るのです。信仰に生きる人は、常に主と交わることを求め、喜んで礼拝するのです。
創世記12:6-8
12:6 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。
12:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。
第四は、なぜアブラムは信仰の父と呼ばれたかです(15:6)。
アブラムは決して完壁な人だったとは聖書に書いてありません。約束の実現があまりにも遅いので、いらいらしたり、神様を疑ったり、自分でいろいろ方法を考え出したりして失敗もしています。でも、神様は、私達人間の弱さをよくご存知で、忍耐強く導いて約束を実現して下さいます。私たちも信仰の父アブラムに倣って、神様を礼拝しつつ、神様の声を聞きつつ、生活するなら、きっと、神様は私達それぞれの歩みを導き、祝福して下さいます。
創世記15:6
15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
アブラムの時代もそうでしたが、日本という異教社会の中で、まことの神のみを礼拝し、信頼し、従がうことは、容易なことではありませんが、そこに神の豊かな祝福がありますと共に、信仰の父アブラムが、「わたしが示す地へ行きなさい。」(12:1)という命令を聞いた時、それを見てもいないのに、神の命令に従い、行き先を知らないで信仰によって、出て行きました。
神様は、その信仰を喜ばれ、アブラムに続く人々が彼の信仰に倣うようにと、信仰の父祖として下さったように、私達も、アブラムの信仰にならって、今は見ずとも、手に入れずとも、神を信頼して歩む時、私達は大いなる神の祝福と恵みが待っているのです。それは御国という希望です。私達は地上の成功よりも、御国への祝福をのぞむことが大切なのではないでしょうか。
たとえ、地上で成功し、地位・名誉を得たとしても、真の勝利者とはなり得ないのです。神の栄冠(ピリピ3:14)、つまり、天国に入ることこそ、人生の真の勝利者と言えるのです。それこそが十字架と復活の最大の目的であったのです。すべての人に与えられる神の恵みでもあります。
その神の約束を信じ、従がい、日々を歩ませて頂きましょう。
ピリピ3:14
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
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