2007年10月14日 日曜日

信仰の父アブラムの生涯に学ぶ

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分51秒

創世記15章1-6節
 
 アブラムが「望み得ないのに、なおも望みつつ信じ」(ローマ4・18)たゆえに、神は義と認めて下さいました。今日は、先週に引き続き、信仰の父アブラムの生涯に学ぶから信仰の義について考えましょう。
ローマ4・18
4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

第一は、アブラムの不安です。
神だけを信頼してカナンの地に来たアブラムを神は豊かに祝福し、13章では、多くの家畜を与え、14章では、敵をも打ち破って下さいましたが、どうしても足りないものがありました。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」(12:7)と、アブラムとサライに、神は約束されましたが、10年ほどたっても子どもが授からなかったので不安がありました。
創世記12:7
12:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

第二は、自分の弱さを認めることによる、アブラムへの神の励ましです。
ある晩のことです。神様が再び現れて「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」(15:1)と語られた時、アブラムは自分の心の内にある思いを神様に打ち明けて「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」(15:2、3) と尋ねます。それに対して神は「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」(15:4)と、約束を確認されたのです。
創世記15:1-3
15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
15:2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
15:3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。

信仰の父と言われる人も、時には疑いをもつような弱い存在であることを、神は十分ご存じです。ですから、神は私達に「恐れるな」と励まして下さいます。私たちがどんなに弱くても、神は決して私達を離れず、見捨てません。ですから、自分の弱さを正直に認めることです。

第三は、神の強さを認めることです。
 アブラムを、神は天幕の外に連れ出し、「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」」(15:5)と言われた時、彼は3つのことに気付きます。①「自分はとても星を数えることはできない」という、人間の能力の限界を知り、②「神はこの無数の星を創造された」という神の偉大さ、③「天地とその中にある全てのものを創造されたお方なのだ」という、無から「天」を創造され、満天の星を作られた主は、年老いたアブラムから、この星のように多くの子孫を生み出すという約束を守られる神の力に気付くのです。

 それゆえ、神が「あなたの子孫はこのようになる。」(15:5)と言われた時、彼はその言葉を、そのまま受け入れ、「天地宇宙を創造されたお方なら、私に子を与えることができないはずはない。約束は必ず実現する」と。そのように、神の強さ、神の全能を知ったなら、私たちの信仰は本物になります。たとい現在の状況がどんなものであっても、全能の神は必ず約束を成就されるお方であることを信じましょう。
創世記15:5
15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」

第四は、約束のものを手にするには、忍耐強く待ち望むことです。
 「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)と語るように、神様は、アブラムが主の言葉を信じたことをとても喜ばれ、アブラムを義と認めて下さいました。つまり、神様の前に信仰によって正しい者と認められたのです。

 しかし、実際にはまだまだ約束の実現には至りませんでした。神がアブラムの75歳の時「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」(12:7)との約束から25年が経ちましたが、神は約束を必ず成就なさるが、そこには人知を越えた深いご計画があります。だから忍耐強く待たなければなりません。この25年の間に、アブラムはつかえめハガルによって子を得ようとする失敗を犯します(16章)が、神は17章で、再度彼に現れ、約束を確認されます(17:1)。聖書に「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」(ローマ4:19)と賞賛し、「だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」と結論づけています(ローマ4・22)。
ローマ4:19
4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

ローマ4・22
4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

そして神様はアブラムにアブラハム「国民の父」(17:5)という名前を、奥さんのサライにはサラ「国々の母」(17:16)という新しい名前まで下さって、約束通りアブラハムをイスラエル民族の父祖、基として下さったのです。そして、子孫は星の数のように増えつづけ、現在に至っています。驚くことに、イエス様もアブラハムの子孫として生まれたと聖書に記されています。そして、イエス様が成しとげて下さった十字架による救いの業は、これを信じるすべての人に罪の赦しを与え、信仰によって神の子とされるという、人類最高の祝福の基となったのです。
創世記17:5
17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。

創世記17:16
17:16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」

アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのは、何の失敗もしなかったからではありません。彼も不信仰に陥ることがありましたが、全能の神がその弱い彼に何度もみ言葉を与えられ、彼は、その約束のみ言葉を信じたからこそ、彼は義と認められたのです。本当の信仰とは、弱いからこそ、全能の神に信頼し続けることです。

 私達は、自分の内側を見詰めても、そこに信仰を見出すことは出来ません。むしろ、自分が不信仰で、不敬虔な者であることに気付きます。しかし、目を神ご自身に向ける時、恵みによって、不信仰で不敬虔な者をも義と認めて下さるお方を信じることが出来るのです。
 私たちもアブラハムの生涯を学ぶことを通して、神様は必ずなして下さることをみことばを通して信じ、あきらめずに、神の時を信じ、従がう者とさせて頂きましょう。

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