思い煩いからの解放
マタイの福音書6章25-33節
キリスト者の生涯は、将来のことは何もかも神にまかせよということではありません。計画を立て、よく考え、配慮し、心配りをし、勤勉に働くことは大切です。今日は思い煩いについて学びましょう。
第一は、思い煩いとは何かです。
ここでいう「心配」とは、くよくよと思い煩うことです。思い煩う私達にイエス様は「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」(マタイ6:25)と語られるほどに、天の父なる神様が私達のことを最も心配しておられます。なぜなら、私達を造られ、イエス様を十字架にかけるほどに愛しておられるからです。
マタイ6:25
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
第二は、キリスト者でも、毎日の生活で不安な材料がいくらでもありますから、思い煩います。しかしイエス様は、思い煩う必要はない理由を3つの例をあげて説明しています。
1、「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(6:26)と。
神様は、奇跡的手段に訴えることなく、自然の営みを通して、鳥を養っておられる。まして、神のかたちに造られた人間は鳥よりも大切な存在です。特にキリスト者は、罪のうちに、神様に背いていたが、イエスの十字架の血によって、罪赦され、悔い改めて、神の子として頂いた者です。鳥に対し良くして下さる神が、私達をどうして見捨てるでしょうか。そのようなことはありません。私達を憐れみ配慮していて下さる天の神様を覚える時、私達は思い煩いから解放されます。
2、「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、」(6:28-30)と。「ソロモンの栄華さえ」、花の完壁な美しさの前に色あせてしまいます。寿命の短い花、しかも燃料として炉に投げ込まれるほかない野の花でも、神はそれほど美しく装われます。この事実を考えると、神のかたちに造られた私達に対しご配慮下さらないはずはないことがわかります。
3、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(6:27)と。
私たちのいのちは、神の御手のうちにあり、自分でそれを延ばすことはできません。自分の力で左右できないことを心配するのは、愚かでむだなことであり、心配しても、問題は解決できないということです。
これらから、神様は私達に衣食よりも、もっと大切な「いのち」そのものを与えて下さったお方、その神様は、当然私達の命を支えるのに必要なものを与えて養って下さり、「よくしてくださらないわけがありましょうか」(6:30)。
マタイ6:27
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
マタイ6:30
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
思い煩うことは結局信仰の問題となります。私達の理性では、「神様は全能であるから、どんなことが起こっても大丈夫だ」とわかっていますが、いざ嵐に会うと恐ろしくなり、不安に押しつぶされてしまいます。私たちの感情は理性に従ってくれません。それが「信仰の薄い人たち。」(6:30)という意味です。ですから、野のゆりを見、空の鳥を眺めては、神様の約束を絶えず思い起こすことが大切です。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Ⅰペテロ5:7)。
第三は、思い煩いからの解決法として、2つあげましょう。
1、「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」(6:31,32)。
思い煩いが問題となるのは、万物を創造し、今も支配しておられる天の父なる神様を知らない人々にとっては、毎日の出来事は偶然であり、人生に価値や意味を見出すことは困難でしょう。そして「できるだけおいしいものを食べ、きれいなものを着、おもしろおかしく暮らそう」とします。そのために他の人と比べてあせったり、思い煩ったりもします。
しかし、キリスト者は、自分が神の御手のうちにあることと、私達のすべてをご存じで、最善の配慮をして下さる神様であることを信じています。経済的な困難に陥った時や、私達の動揺しやすい心の隅々まで知り尽くしておられる神様は、私達の重荷を共に負って下さり、この世のすべての必要を知っておられますから、思い煩わなくてよいのです。
2、キリスト者にとっても、心の中にある思い煩いは、なかなか追い出,せません。追い出そうとすればするほどかえってとらわれます。唯一の解決は、「あなたの顔を天に向け、心を問題や困難にではなく、神ご自身に向けなさい」と主は命じられます。
神様は、「あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知」(6:8)り、与えて下さるお方ですから、心配するよりも、先ず神を信じることが大切です。「神の国とその義」とは、私達が神に信頼し、神の支配に服従した生活をすることであり、信仰により、神様との正しい関係において義とされることです。心配に対する最善の解決策は、神を信頼しつつ、「神の国とその義とをまず第一に求め」(マタイ6:33)ることです。それによって、分裂し、混乱した心を、全面的に神を信頼するなら、神によって統一され、混乱した心は静まり、平安が回復します。心配は、無駄なエネルギーを消耗させますが、信仰は私達の全エネルギーを神に集中させ、神の目標に向かって働くようにされます。そうすれば、神は必要をすべて与えて下さいます。心配して右往左往するのではなく、神を信じてなすべきことをしたいものです。ただし、自分の願いがなることではなく、神のご計画のなることを求め、自分が本当に必要としているものと一致するなら、備えられていきます。
マタイ6:8
6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
マタイマタイ6:33
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
心配のほとんどは未来に関するものです。しかし、未来は、神の支配の中にあるのですから、くよくよ心配しても、問題は解決しません。未来のことを心配することよりも、現在のことに全力を尽くして事を行うなら、「労苦はその日その日に、十分あります。」(6:34)。そして、神様との関係、神ご自身を、第一に求めましょう。そうするなら、思い煩いの入り込む余地はなくなります。そのような歩みさせて頂きましょう。
マタイ6:34
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
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