イサクの神からの3つの祝福
創世記26章12-29節
アブラハムは175才で死に(25:7)、神の祝福の約束は息子イサクに受け継がれますが(創世記17・19)、イサクの生涯を学ぶ時、確かに主の祝福が豊かに注がれたことが分かります。今日は、イサクの祝福を、4つの面から考えてみましょう。
創世記25:7
25:7 以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。
創世記17:19
17:19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
第一は、財産が増し加わり、物質的な祝福を得たことです。
「国にまたききんがあった」ので(26:1)、イサクは、エジプトに移住しようとしましたが、神が「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。」(26:2)と言うことで、ペリシテ人の地、ゲラルに住み、飢饉の年であったにもかかわらず、神様は、み言葉に従順に従ったイサクに、2つの面で祝福されました。
創世記26:1
26:1 さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それでイサクはゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。
1、農作物における祝福です。飢饉の中で、「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た」(26:12)ことは、普通考えられないことで、まさに神様の祝福の結果でした。「見た」ということは、種を蒔いてしばらくしてやって来て見ると、百倍の実を実らせていることを発見したということです。つまり、イサクの側の何の功績にもよらず、全く主の恵みによる収穫だったということです。それは、私達にとって十字架と復活は神の恵みであり、他の人が行き詰っている時にも、神様を信頼する者は行き詰ることがないということです。
創世記26:12
26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。
2、牧畜における祝福です。イサクは畑の作物だけでなく、「ますます栄えて、非常に裕福」(26:13)になり、「羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようにな」(26:14)りました。
創世記26:13,14
26:13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。
26:14 彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。
神様のみ言葉に従う時、物質も豊かに与えられるのは、聖書の示す大原則で、それは永遠に変わりません。み言葉に従って勤勉に働き、質素な生活をするならば、必要な物はすべて主が豊かに与えて下さいます(マタイ6・33)。
マタイ6・33
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
第二は、3つの試練が祝福の鍵です(26:14―16)。
1つ目は、人間の本質で、祝福に対するねたみです。イサクの周囲のペリシテ人はイサクから、その祝福の理由を聞いて、その信仰に倣(なら)うのではなくねたんだのです(26:14)。
創世記26:14-16
26:14 彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。
26:15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。
26:16 そうしてアビメレクはイサクに言った。「あなたは、われわれよりはるかに強くなったから、われわれのところから出て行ってくれ。」
2つ目は、ペリシテ人たちはねたみから、アブラハムのしもべたちが掘ったすべての井戸に土でふさぐという妨害をします。井戸は畑や、牧畜のためにも必要な水の供給源であるのに、彼らは卑劣な手段をもって、イサクに与えられた祝福をとどめようとしたのです(26:15)。
3つ目は、「われわれのところから出て行ってくれ」と言われて、イサクは、その場から追放されました(26:16)。
第三は、イサクの人格的祝福です(26:18-21)
1、信仰です。祝福されていた地を追放されたイサクはゲラルの谷間に住み、そこで、父アブラハムの時代に掘られ、その後ペリシテ人によってふさがれてしまった井戸を再び掘り起します。このことは、イサクの信仰による不屈の忍耐を示しています(26:18)。
創世記26:18-22
26:18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。
26:19 イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。
26:20 ところが、ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ。」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである。
26:21 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。
26:22 イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」
アブラハムが受けた祝福の泉を、新たに掘り直しています。もし井戸がふさがれていなければ、イサクは何の苦もなく、その祝福にあずかっていたでしょう。しかし、イサクは自分自身で労苦して祝福の泉を掘り直す必要があったのです。イサクはその井戸に、父アブラハムが付けたのと同じ名を付けます。ここにイサクの信仰と謙遜を見ると共に、彼はアブラハムに与えられた神様の祝福を受け継いだのです。
続いて、イサクのしもべたちはまた新しい井戸を見付けます(26:19)。父の祝福の泉を掘り直した後に、イサクはそれに加えて新しい祝福の泉を見出しました。ここに信仰の継承者の姿があります。私たちは時として、先輩のしたことを否定して、新しいことをしようとします。そのことによって自分たちの独自性を主張しようとするのです。ここには謙遜さが欠けています。私達のなすべきことは、私たちの先輩が見出したものを継承し、それを自分自身のものとすることです。そしてその土台の上に立って、更に新しい主の恵みを求めるべきです。
2、忍耐と寛容です(26:20,21)。ゲラルの羊飼いたちは、イサクの井戸を「この水はわれわれのものだ。」(26:20)と言って、イサクの羊飼いたちと争ったので、イサクのしもべたちは、そこから移ってもう一つの井戸を掘りましたが、それについても争いがあったので、イサクはそこから移ってほかの井戸を掘ります。イサクは争いを望まず、次々に新しい神様の恵みを掘り出して行ったのです(26:21)。これこそ忍耐と寛容の姿であり、柔和のもとです。その結果、争いがなくなり、イサクは「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」と言って(22)、主に信頼する者に、神様は平安と勝利と祝福を与えて下さることを告白している。
神の祝福は、単なる物質的な祝福よりも、人格的な祝福の方がもっと重要です。特に柔和という品性は、キリストご自身も持っていたし(マタイ11:29)、御霊の実の一つでもあります(ガラテヤ5・23)。柔和に生きる人は、争いに満ちた現代社会で、非常に大切な意義を持ち、争いが起こるのを防ぎ、周囲に平和をもたらす。まさに祝福の基となるのです。
マタイ11:29
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
ガラテヤ5・23
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
第四は、信仰が深められた霊的祝福です。
イサクは、飢饉もおさまったので、ゲラルからペエルシバに帰ります(26:23)。そこで主は再び彼に現れて、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。」(26:24)と仰せられましたが、「あなたとともにいる」という言葉は、イサクがゲラルに行った時に、主が約束されていたことですが(26:3)、これは霊的祝福と言えましょう。
創世記26:23,24
26:23 彼はそこからベエル・シェバに上った。
26:24 主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
創世記26:3
26:3 あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。
物質的祝福も、人格的祝福もすばらしいですが、霊的祝福こそ全ての祝福の源です。神様が共におられたからこそ、アブラハムもイサクも、主を信頼し続けることができたのです。だからイサクは、父と全く同じように、「そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(26:25)のです。
26:25 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。
イサクの生涯は、父アブラハムと比べるなら、柔和な人で、親族から別れることも、戦争に巻き込まれることもありませんでしたが、父の信仰をしっかりと受け継ぎ、ゆるぎない信仰者として神様と共に歩みつつ、何度も人々から嫌がらせやいじわるを受けても、争わず、神様は私の全てを知っておられ、必要も満たして下さると信じ、黙々と神様に従うことができたのです。
そして、様々な出来事を通して、信仰が深められていったことは確かです。私達も、神様にお会いする日まで、様々な試練を通して、信仰を深め、整え、花嫁のみ姿へと変えられる日々の歩みをさせて頂くと共に、信仰を継承させて頂きたいものです。それこそが豊かな祝福なのですから。
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