2007年12月9日 日曜日

マリヤの信仰

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分43秒

ルカの福音書1章26-38節

アドベント、イエス様の誕生を今か今かと待ち望む、第二週に入りました。今日は、イエス様の母マリヤの信仰について考えてみましょう。

第一は、御使いによる受胎告知とマリヤの告白です。
親類のエリサベツは、不妊の女でしたが、神様は、エリサベツに子を与え、エリサベツがヨハネを宿して6ケ月目に、「御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」(1: :28―31)と告げられます。

長い間、みんなが待っていた救い主が、自分を通して誕生することを聞かされた時、マリヤはどんなに驚いたことでしょう。でも最後には、「ほんとうに、私は主のはしためです。」(1:38)と答えました。それは、マリヤの決意と信仰を表わす言葉でした。はしためとは、「わたしは神様の女奴隷です」という意味で、主人の言うままに生き、主人の幸いのために尽くす奴隷です。これは私達を造って下さった神の前にとるべき私達の姿なのです(1コリント7:22、1ペテロ2:16)。
1コリント7:22
7:22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。

1ペテロ2:16
2:16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。

救いとは、この姿に回復することです。マリヤは素晴らしい救いを受けたのです。神のものとなり、神のご計画に従って生きる特権を受けたのです。
 その救いは、単なる感情でも、また知的同意でもなく、「お言葉」に根ざした信仰によるものでした。しっかりした土台を持った信仰は、たとえ嵐にも地震にも耐えることができますが、そうでないものは、もろくも崩れ去ります。私達も、みことばを土台とした信仰と、神様に対する全面的な信頼と、誇るべきものは何もない無価値な、本当に神の僕にすぎない者と告白し、神を畏れる謙遜な心を持って、神に仕え、人に仕える人こそ、昔も今も神様が選ばれ用いられる人で、私達も、神様のご命令であるなら、完全に服従する信仰と、謙(へりくだ)る姿勢をもって応答するなら、神様は恵みを与え、いつも共にいて下さいます。

第二は、御使いとマリヤの問答とマリヤの信仰
 御使いがマリヤに「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」(1:30,31)と告げられた時、マリヤは最初、「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(1:34)と応答しますが、それは、疑いや不信から出たことではなく、まだ婚約中の身で、自分が子供を産むことに戸惑いがあったからです。

これに対して、御使いガブリエルは、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月」(1:35,36)であることを示し、「神にとって不可能なことは一つもありません。」(1:37)と語って、マリヤの信仰を導かれます。その時マリヤは、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(1:38)と答えていますが、マリヤは、神様の語られたことは必ずその通りになることと、神様はどんなことでもおできになる御方であることを心から信じたのです。

第三は、処女降誕の必要性の理由です。 
 罪人である私達人間を救うためには、その救い主は、私達と同じ人間でなければならないことと、しかも、私たちの罪をかわって背負い、その死をもって罪人の罪の償いをするには、その人自身に罪があってはならないこと、この二つが救い主に必要であり、通常の出生によって、誕生する者の中には、この条件を満たし得る者は1人もいないのです(ローマ3:23)。そう考えてくると、処女降誕という超自然的な神のみわざは、まさに必要不可欠なことであることがお分かりでしょう。その上で、十字架による死が、イエス様には後に待っているのです。なぜでしょう。それは自分のためではなく、皆さん一人一人のためだったのです。それほどの大いなる愛はあるでしょうか。その愛を私達は、無条件で頂いているのです。
ローマ3:23
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

第四は、マリヤの献身と応答です。
 神のお言葉通りマリヤの身になるならば、ヨセフとは結婚できなくなり、みんなから誤解され、命さえも奪われる危険、「罪深い女」(ヨハネ8:4)と呼ばれる危険、石打の刑を受ける危険がありました。それでもマリヤは神のみ心を受け入れ、自分自身を神様にお献げしたのです。若いマリヤにとって、それは簡単なことではありませんでした。必死の思いでマリヤは自分自身を神様にお献げしたのです。そのことをヨセフにも告げず、全てを神様にお任せしてマリヤは過ごしました。
ヨハネ8:4
8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

人生に不安、恐れ、心配、迷い、もうだめだと失望・落胆した時、皆さんはどうしますか。私たちが神様の前に祈っていくならば、神様は一人一人にその時必要なみ言葉を与えて、私たちを励まし、慰めて下さいます。私たちがマリヤのように神様の語られたみ言葉と、神の全能の力とを信じていく時、すばらしい神の御業が、私達にうちにもなされていきます。

クリスマスとは神の一方的な恵みによるキリストの御降誕の時ですが、同時に神は信仰の器マリヤを深いご計画の内にお用いになった。それはまさに「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださること」(ローマ8:28)が真理であることを証するものです。

 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(1:38)。マリヤは神様を畏れる謙遜な人、神のみ言葉を信じる人、神様に自分自身をお献げした人でした。そのようなマリヤから救い主イエス様は誕生したのです。私たちもマリヤの信仰に倣(なら)って、神様に心から従う者とさせて頂きましょう。

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