神の愛のあらわれ
ヨハネの福音書3章16-21節
クリスマスおめでとうございます。プレゼントを、もう頂きましたか。実はクリスマスは、神様が私たちにこの世界中で一番すばらしい、びっくりするような宝物をプレゼントして下さった日なのですが、それをヨハネの福音書3:16のみことばが語っています。今日は、神の愛のあらわれについて考えてみましょう。
ヨハネ3:16
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
第一は、ひとり子を与えるほどの神の愛の事実です。
神とは、どのようなお方なのでしょうか。私たちが信じている神は、創世記1章1節に「初めに、神が天と地を創造した」と記されていますように、全世界を創造され、私達人間をもお造りになられた唯一なるお方ですが、同時にキリストの父であり、キリストは神の特別なひとり子です。
ヨハネ1・14
その「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」とあります。「世」とは、頭脳明晰で、観光、優秀な、世的に言うなら、成功した、有能な人たちも、誇るべきものもないすべても人々のことで、特に、神様によって造られながら、神様を無視し、神様に逆らい、神様を信じないで、自己中心な生き方をしている世界のことです。そしてそれは、私達一人一人のことを指しています。神様は、私達がどんなに神様に背を向けて自分勝手に生きていても、神様のことなど全く考えないで、悪いことばかりするような罪の中に生活していても、私達のことを忘れることなく、見捨てることなく、変わらない愛で愛していて下さるのです。そして私達が、そのままの姿で神様のもとに帰ってくるのを、ずっと忍耐して待っていて下さるのです。
神がひとり子を「お与えになった」という行為を、神のお立場から考えるならば、それは神様にとって最も大切なものを「失った」「手放された」ということです。神はご自身にとってかけがえのないひとり子を、私達のために失われたのです。それは神にとって言い尽くしがたい痛みです。一般的に、親にとって自分の子どもを失うことほど辛(つら)いことはありません。自分の命に代えてでも、わが子だけは救いたいと思うのが親の情です。しかし神は、私達のために、ご自身のふところにいるひとり子を与え、失い、手放して下さったのです。これほど神の深い愛が私達に注がれているのです。あなたが、救い主イエス・キリストを信じる、信じないに関わりなく、たとえ、心かたくなにし、反抗していたとしても、親がわが子を信頼して待ち望むように、神は、あなたが立ち帰るのを今か今かと待ち望んでいるのです。なぜなら、親が子を信じてあげないで、誰が信じてあげられましょう。神はあなたを造られ、ひとり子を与えるほどにあなたを愛しておられるのです。
神様の忍耐は2000年です。そして、この世が終わるまで「あなたは、どこにいるのか」(創世記3:9)と捜し、尋ね求め、みこえをかけ続けています。
創世記3:9
3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
第二は、神様の私たちに対する愛はどれほど大きなものなのでしょう。その愛はどこに表されているのでしょうか。ひとり子を信じる者を救う神の愛の大きさです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに」とあります。ひとり子とは、父なる神様にとって、ただ一人で他に代わりのない、愛する子イエス様のことです。そのイエス様が人間となって、この世界に来て下さったのがクリスマスです。罪のないイエス様が、人間の罪を負って十字架にかかり、私たちの代わりに神様のさばきを受けるために、この世に来て下さったのです。神様は、一番大切なご自分の宝物であるひとり子イエス様を、私たちの罪の身代わりとして与えて下さったのです。与えるとは、手放すという意味です。
イエス様の十字架に、神様の私達に対する愛がどれほど大きなものであるかが表されています。
第三は、神様はどうして私達のために、それほどまでに大きな愛の犠牲を払って下さったのでしょうか。神の愛の目的です。
「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためで」す。また「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4:10)とも聖書に記されています。「なだめの供え物」とは、神様の怒りを静めるために、イエス様の命がささげられた、つまり、十字架がなだめの供え物なのです。それが神様の具体的な愛のあらわれなのです。
私達が神の愛を知り、自分の罪を認めて、イエス様の十字架が自分の罪のためであったと信じるならば、その人は刑罰にあうことがなく、神様との交わりの中に生きる永遠の命を頂くことができます。そのために、ひとり子であられたイエス様の命を犠牲にされたのです。けれども、もし私たちが自分の罪が明らかにされることを恐れて、光であるイエス様のもとに来ることなく、イエス様を信じなければ、その人は、罪からの救いと永遠の命を得ることができず、さばきを受けなければなりませんが、神様は、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改め」(2ペテロ3:9)て、永遠の命を得てほしい。そのために救いの道をイエス様を通して備えられたのですが、イエス様を救い主として信じるか信じないかは、私たちにとって救いか滅びかを決定してしまうことなのです。なぜなら、神様は人間に自由意志を与えておられるからです。
2ペテロ3:9
3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
このクリスマス、イエス様のご降誕は、神様の最大の愛のプレゼントです。御子を信じる全ての者が永遠の命を得るという賜物です。私達もひとり子である救い主イエス様を心で信じ、永遠の命を頂きましよう。
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