苦しみを乗り越える勝利の信仰
創世記39章1-23節
人生には、誰にも分かってもらえない気持ちやつらい出来事がありますが、ヨセフは長い年月苦しみに耐えた人物です。苦しみを乗り越えたヨセフの勝利の信仰を学びましょう。
第一は、ねたまれたヨセフです。
ヨセフは、ヤコブにとっては、11番目の年寄り子で、母ラケルとの初めての子どもであったため(30:22⊶24)、ヤコブはヨセフを特別に愛し、ヨセフには兄たちよりも良い服も与えました。今で言うなら、溺愛(37:4)です。それゆえ、兄たちは、ヤコブがヨセフをえこひいきしていると感じねたみ、ヨセフも父へ兄たちのうわさを告げ口したゆえにねたまれました。
創世記30:22-24、
30:22 神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
30:23 彼女はみごもって男の子を産んだ。そして「神は私の汚名を取り去ってくださった。」と言って、
30:24 その子をヨセフと名づけ、「主がもうひとりの子を私に加えてくださるように。」と言った。
創世記37:4
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
またある時は、ヨセフが見たという夢の中で、両親と兄弟たち全員が彼を拝んでいることを示しているのを聞いて、腹を立て、ついに、ヨセフを殺そうとします(37:18,19)が、ルペンの言葉により、穴に投げ込まれます(37:21,22)。しかし、ユダの提案で、ヨセフをイシュマエル人に銀20枚で売り(37:26-28)、ヤコブには野獣にかみ殺されたように見せかけました(37:31-33)。そのイシュマエル人は、ヨセフをエジプトに連れて行き、エジプトの侍従長ポティファルにヨセフを売ります(37:36,39:1)。
創世記37:18,19,21,22,26-28,31-33
37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子のいのちを打ってはならない。」と言った。
37:22 ルベンはさらに言った。「血を流してはならない。彼を荒野のこの穴に投げ込みなさい。彼に手を下してはならない。」ヨセフを彼らの手から救い出し、父のところに返すためであった。
37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。
37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。
37:28 そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。
37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。
37:32 そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください。」と言った。
37:33 父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」
第二は、神の恵みと祝福を持ち運ぶ者です。
ヨセフの運命は苦難に満ちていました。彼は兄たちに売られ、エジプトの侍従長ポティファルの下で奴隷となりますが(1)、「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだね、・・・自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった」(39:3-6)ほどでした。
創世記39:3-6
39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。
39:5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
39:6 彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。
このように主人がヨセフを用いる様子が詳しく描かれていますが、それは、ヨセフが神様に特別な配慮をもって守られ、祝福されていることの故でした。そしてヨセフに与えられている祝福はヨセフだけでなく、ヨセフの周囲にも及んでいったので、実にヨセフは神の恵みと祝福を持ち運ぶ者と言えましょう。
第三は、ヨセフの試練です。
異国の地で奴隷となりつつも、神の祝福の内に用いられるヨセフでしたが、なお試練がありました。それはポティファルの妻の誘惑です。
ヨセフは「体格も良く、美男子」(39:6)だったので、「主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」(39:7)と、毎日のように言い寄りますが(39:10)、ヨセフはこれを拒みます。ヨセフは自分を信任する主人を裏切って、主人にとって大切な妻と寝ることが出来なかった。そして何より、「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょう。」(39:9)と、主なる神の前に決して犯してはならない罪であることをわきまえていました。
創世記39:7-10
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言った。
39:8 しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。
39:9 ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」
39:10 それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。
ヨセフは神の前に罪を犯すことが出来なかった。ここにヨセフの霊的な特質が現れています。ヨセフは父ヤコブの寵愛を受けた坊ちゃんではありましたが、単にそれだけでなく、神様がヨセフと共におられ、ヨセフを守り、祝福されたのは、ヤコブの家族を救うという神の御計画の故に他なりませんが、ヨセフ自身の信仰による所もまた大きい。神の前に真実をもって歩むヨセフの信仰は、ヨセフの祝福の源泉となったのです。
そのような中、ポティファルの妻の誘惑は、とうとうヨセフに悲劇的な結果をもたらします。ある日、「彼が仕事をしようとして家にはいると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。」(39:11)時に、「彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ。」(39:12)としつこく言い寄りました。ヨセフが逃げたため、彼の上着をつかみ取ってしまいました。そして、その家の者どもを呼び寄せ、また、帰って来たポティファルにも「あなたが私たちのところに連れて来られたヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところにはいって来ました。私が声をあげて叫んだので、私のそばに上着を残して外へ逃げました。」(3917,18)と訴えますと、ポティファルはカンカンに怒り、ただちにヨセフを引き立てて、牢屋に入れてしまいました(39:20)。
これはぬれぎぬですが、この世ではよくある出来事で、特に神の前に真実に歩む者にとって、わかってもらえず、侮辱(ぶじょく)され、耐え難い屈辱であり、義の苦難と言えます。私達キリスト者は、特に性の誘惑と、このことをヨセフから謙虚に学ぶことです。私達は、人との関係も大切ですが、先ず神との関係を真実をもって歩む勇気と確信が重要です。なぜなら、人は誘惑に弱いからです。自分を知り、弱さを認め、知ることです。
創世記39:11,12,20
39:11 ある日のこと、彼が仕事をしようとして家にはいると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。
39:12 それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ。」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
39:20 ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。
第四は、神様が共にいるゆえの、獄屋での祝福です。
ヨセフは、先には兄達に妬(にく)まれ、売られて一人エジプトに連れて来られ、その上、今度は自分が悪くないのに、うそをついたポティファルの奥さんのために、牢屋に入れられてしまったのです。
罪を拒んだために獄に投げ置かれたヨセフでしたが、神はこのヨセフを決して見捨てられませんでした。「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。」(39:21,22)のです。
このようにヨセフの身は、奴隷から囚人へと悪くなったようですが、神の前に信仰をもって歩むヨセフに、神は、行く所、行く所で伴って下さり、ヨセフのなす事をみな栄えさせて下さり、恵みを十分に注き続けて下さいました(20~23)。しかも、この獄屋で過ごすことが、将来ヨセフがエジプトの宰相(総理大臣・首相の意味)となるためのきっかけとなることを誰が想像できましょう。神様のなされる御業は、人の思いをはるかに超えて、恵みと祝福に満ちているのです。
創世記39:23
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
イエス様も、ののしられ、あざけられても、黙って全てのことを神様にお任せになりました。しかも、ご自分には罪がなかったにもかかわらず、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって死んで下さいました。私達も、意地悪をされたり、自分が悪くないのに悪口を言われたりすることがあるかもしれません。しかし、ヨセフのように、誘惑による罪を退け、共におられる神様に信頼し、自分で仕返しをせず、神様にお任せしてゆく勝利の信仰に倣いましょう。
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