2008年1月13日 日曜日

ヤコブの生き方を変えた体験

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分41秒

創世記28章10-22節

 アブラハムに与えられた祝福の約束は、イサクに、そしてヤコブに受け継がれましたが、神は、彼を祝福にふさわしい者とするため、旅の途中で、特別な経験をさせます。今日はヤコブの生き方を変えた体験を考えて見ましょう。

第一は、孤独なひとり旅です。
 ヤコブは、住み慣れたベエル・シェバを後にしてカランへ旅立ちます。
人は一つの地に住み着くことによって、そこに「自分の城」を築く。つまり、家族、財産、文化等の中にアイデンティティーを求めます。故郷を離れて旅に出ることは、その土地にかかわるすべてのもの、つまり自分の生活、習慣、財産、住居、地位、特権のすべてを捨てることを意味します。これらのものから引き離されて初めて、人は土地が変っても変らない永遠の神を求めるようになるのです。これが救いの原点です。

 ヤコブが必死の思いで手に入れた長子の権利も祝福も、約束の地を離れると何の意味もありません。人間的な手段で手に入れたそれらの権利を、ヤコブは一度手放さなければなりませんでした。
 また、ヤコブは愛する家族からも離れます。家庭は一人の人が成長するために大切な場ですが、人が真の自立を経験するためには、「父と母を離れ」なければなりません(2:24)。神は御自身の計画の中で、ヤコブを愛する家族から引き離して孤独の中に追い込まれました。
創世記28:10,11
28:10 ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。
28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。

創世記2:24
2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

 彼は全く孤独になり、故郷のベエル・シェバから約八十八キロも離れ、しかも人里離れたある所で、ちょうど日が沈んだので、彼はそこで一夜を明かすことにしました(28:11)。このような所で野宿することは危険なことです。ヤコブはそのような中で、自分の孤独と無力さを痛感したことでしょう。自分がより頼んでいたすべてのものを奪われた時、彼は初めて「自分自身」と直面したのです。

 このように自分の無力さと孤独を深く体験することが、個人的に神を知る経験に導かれる前提なのです。私達は、一面教会での交わりと家族との交わりも大切ですが、また一面、私達が本当に「愛をもって真理を語」る(エペソ4:15)成熟した交わりを築き上げるためには、私達はもっと孤独になって、神の前に自分自身と直面し、そして神の真実な愛の中に自分を見出すことも大切なのです。
エペソ4:15
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

第二は、神の臨在を知ることです。
 ヤコブが見た夢の中で「一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。」(28:12)のを見ます。それだけでなく、「主が彼のかたわらに立っておられた。」(28:13)。それまでのヤコブは、兄を出し抜き、父をだましてでも、自分が祝福を得るのに必死で、神に対する信頼など持ち合わせず、天を見上げることも滅多になかったと思われますが、この夢で天と地とがつながっていることに気付き、さらに神ご自身が彼のそばに立っておられるという臨在の事実に目が開かれたのです。きっと生まれて初めての経験だったに違いありません。
 たとい信仰深い父や祖父がいても、それで自動的に信仰を受け継ぐのではありません。一人一人が神様と交わり、神様が共におられるという体験をすることが大切です。
創世記28:12
28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

第三は、神のみことばを聞くことです。
 しかも主は、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。」(28:13)と宣言され、ヤコブに以下の五つのことを約束されました。
①の「あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。」(28: 13)と、②「地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。」(28:14)。この2つは、アブラハムとイサクに与えられたのと同じ約束であり、③の「わたしはあなたとともにあ」(28:15)るとは、イサクに明確に示された約束ですが、④の「あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(28:15)と、⑤「あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28:15)は、ヤコブに初めて与えられた2つの約束で、孤独な旅で心細く、それまで神を明確に意識しないで生きてきた彼にとって、初めての経験であり、神はそんな彼に、どんなに自分勝手に生きていても、彼を選ばれた神は彼を守り、彼を見捨てないで、やがてもとの約束の地に帰るという約束は、ヤコブにとっても、私達にとっても、大きな慰めであり、励ましです。私達の約束の地とは、もちろん天国、み国です。
創世記28:13-15
28:13 そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

第四は、神に祈りをささげることです。
 眠りからさめたヤコブは、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」(28:16)と告白し、「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださる」、(2820-22)と祈っていますが、これはヤコブらしい、身勝手な、条件付きの誓いですが、聖書を見る限り、彼はこの箇所で初めて、神に祈ったのです。
 今でも神は私達にも語りかけられます。特に様々な困難に直面し、失望落胆する時こそ、神は私達に現れ、励ましのみ言葉を与えて下さいますから、み言葉を自分のこととして信じ、受けとめ、神に応答して祈ることが不可欠です。

 信仰の父アブラハムの孫であっても身勝手なヤコブでしたが、神の恵みのゆえに、この貴重な経験を通して彼は生まれ変わりました。私達も、生まれつきのクリスチャンは誰もいません。
しかし誰でも、自分の罪をお詫びして、イエス様の十字架が自分の身代わりであることを心から信じるなら、生まれ変わることができます。そして、神様が共にいて下さることが分かり、聖書から神様のみ言葉を聞き、お祈りをすることができるようになります。そして、ヤコブが語る「すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」(2822)という応答だけでなく、この身を神様にささげ、できることを精一杯、神様の働きのために、賜物を用いることが喜びとなり、それが神の喜びともなります。そのような歩みを、キリストにあって、互いに愛し合う中でさせて頂きましょう。
創世記2816
28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。

創世記28220-22
28:20 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、
28:21 私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、
28:22 私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」

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