愛の交わりの3つの面
ローマ人への手紙12章3-21節
教会生活のルールから、先週は神様をまず礼拝することを学びました。今日は、神との関係が整えられるなら、当然、人との関係も健全に保つことできますが、お互いを大切にし、愛し合う人の交わりの3つの面を考えてみましょう。
第一に、キリストのからだとしての交わりです。
パウロは、Ⅰコリント12章で、「教会はキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体」という重要な原理を述べていますが、ローマ書ではその原理を、「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしない」(12:4)と表現しています。教会には様々な違った働きをする人々がいますが、それが重要なのです。それゆえ、だれも「思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方を」(12:3)する必要があります。教会生活においては、この謙遜さが非常に大切です。またパウロは、決して倣慢にならず、「自分に与えられた恵みによって」(12:3)と勧めています。
ローマ12:3-5
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
教会には、預言・奉仕・教え・勧め・寄付・指導・慈善などの〈賜物)を持った人がいますが、それらはみな、神から「与えられた恵み」です。みな違った働きですが、どれも大切です。自分に与えられた賜物をもって謙遜に人々に仕えると同時に、他の人々に与えられた賜物を尊重する時、教会の交わりは健全なものとなります。
第二に、教会内の人々との交わりです。
9~13節には、教会内の人々との交わりの姿が描かれています。「愛には偽りがあっては」(12:9)ならないゆえに、時には厳しく、「悪を憎み、善に親し」まなければなりません。しかし神を父とする家族なら、「兄弟愛をもって心から互いに愛し合う」(12:10)ことと、謙遜に生きるなら、当然相手を「自分よりまさっていると思」(12:10)うこともできます。しかし、これらの行動は、主に対する真摯な態度があってこそ可能であることを忘れてはなりません。それゆえパウロは、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」(12:11,12)と勧めています。
ローマ12:9-12
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
私たちの教会においても、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません」(Ⅰヨハネ4・20)と語るように、互いに愛の交わりをなし、共にささげる礼拝こそ、主が喜ばれることです。
第三に、迫害する人々との交わりです。
パウロは、14節以下で、これまでと正反対の人々に対する態度を教えています。「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。」(12:14)と命じるばかりでなく、さらに迫害を受けている人々を思って、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(12:15)と言い、また迫害に屈しないために「互いに一つ心に」(12:16)するよう勧め、なお「悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(12・17.18)と。それは、イエス様ご自身が、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(12:19)からだと。また、「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませ」(12.20)ることが神様の御心であり、その結果は、「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(12:21)とパウロは語るのです。これこそ、真の信仰生活、クリスチャン生活であると言っているのです。
12:14-21
12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
第四は、み言葉を実行するにはどうするかです。
人間は、「やればやりかえせ」という最も正当な理由をつけて報復しようとします。それで世界は平和になったでしょうか。そこに真の心の平安と解決はあるのでしょうか。これからあげます5つは、私達には実行するのは難しそうですが、でも大丈夫。できそうにないことをできるように変えて下さるのが、イエス様であり、希望ある信仰です。
1、お互いが一つとなるためには、自分のことを偉いと思ったり、自慢する心があってはなりません。「愛をもって心から互いに愛し合う」(12:10)敬虔さと、「尊敬をもって自分よりまさっていると思」(12:10)う思いやりと、「高ぶった思いを持たず、自分こそ知者だなどと思」(12:16)わないことが必要です。
2、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣」(12:15)く心の優しさと、心のゆとりが大切です。
3、意地悪をされても、仕返しをしたりせず、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(12:19)と約束される神様に任せることです。確かに、この世は不条理なことが多く、真面目な者が生きられないような、ますます悪がはびこっています。しかし最終的には、さばき主なる神様にゆだねることです。
4、人は迫害されたり、意地悪をされたり、思い通りにならないと、相手を赦せません。だから「愛には偽りがあっては」(12:9)なりません。無条件の愛は、人を赦すことができます。その見本がイエス様です。
5、イエス様は、罪人と呼ばれて人々からのけ者にされていた人々の友となられました。彼らと一緒に食事をし、汚れた病人に触れて病を癒されました。十字架におかかりになる前の夜、裏切ることが分かっていたイスカリオテのユダの足を、心を込めて丁寧に洗われ、ユダが悔い改めるように願われました。イエス様の心は、私たちの心とは何と違っているのでしょう。相手が自分に対してどのような態度をとる人なのか、善人にも悪人にも同じように愛を注いで下さる神様です。
その上イエス様は、私たちが自分で受けなければならない罪の刑罰を、身代わりに受けて死んで下さいました。それは、私達に何かよいところがあったからでしょうか。いいえ、その反対に、私たちが悪いのに、代わって罪を負って下さった愛があります。愛は、犠牲を伴い、苦痛を伴い、時には命を捨てて、人を赦すことです。ここに真の愛があります。
パウロの命じるように、善をもって悪に勝つ生き方や、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く心が与えられるように、神様に求めましょう。それは決して簡単なことではないですが、イエス様は、私たちに完全な愛のお手本を見せて下さいました。そして私達の心に本当の愛が芽生えれるなら、神を愛し、人を愛することが可能とされます。なぜなら、神様の御旨がそれだからです。私達は、何よりも神を信じ、希望を持って、互いに愛する心を養い育てましょう。
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