2008年3月9日 日曜日

ゲッセマネの祈りから学ぶ

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分42秒

ルカの福音書22章39-46節

今日は、明日十字架にかけられるという前夜、イエス様はどのようなお祈りをされたかを学びましょう。

第一は、神の時を知ることです。
 イエス様が苦しみを受けて死なれたのは、ちょうど過越の祭りの時でした(22:1)。この祭りは、モーセに率(ひき)いられてイスラエルの民がエジプトを脱出する前に、神様がエジプトにいるすべての初子を打ち殺すというさばきを行なわれますが、ただし、傷無き小羊の血を家の入口の柱とかもいに塗った家は、神様が過ぎ越され、さばきを免れ、エジプトを脱出したことを記念して毎年行なわれるものです(出エジプト12:5~14)。
ルカ22:1
22:1 さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。

出エジプト12:5~14
12:5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
12:6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
12:8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。
12:9 それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
12:10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。
12:11 あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。
12:12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。
12:13 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
12:14 この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。

 神の御子イエス様は、まさに「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)として、この過越の祭りの時に、十字架で血を流して死なれたのです。
 イエス様は、その十字架の死の意味を明確に示すために、弟子たちと過越の食事をすることを切に望まれ、それを実行されたのです(ルカ22:14~20)。
ヨハネ1・29
1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

ルカ22:14~20
22:14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。
22:15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。
22:16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」
22:17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
22:18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

その食事の後、敵に捕らえられる前に、イエス様はエルサレム城外にあるオリーブ山のゲッセマネの園に行き、「いつものように」(22:39)、「いつもの場所」(22:40)で祈られました。そこはイエス様が、たびたび弟子たちと祈られた場所であり、イエス様を裏切った弟子ユダもよく知っており(ヨハネ18・2)、危険な場所です。それでも、イエス様は「今」(ルカ22:18,36,53)が父なる神の定められた「時」であることをわきまえて、「いつものように・・いつもの場所」で祈られたのです。しかし、弟子たちには、この時の意味を悟ることができませんでした。
 私達も、神様の時を逃さないためと、誘惑に陥らないために(22:40)、目を覚まして、神に祈り、神と交わる必要があります。
ルカ22:39,40
22:39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。

ルカ22:18
22:18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

第二は、ありのままの祈りです。
 イエス様はまず、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」(22:42)と祈られました。「父よ」という呼びかけは、子どもが父親を呼ぶ親しい呼び方であり、父なる神と子なるイエス様は、天地創造の前から永遠に続く最も強固な交わりを持っておられたのです。
ルカ22:42
22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

また「この杯」とは、父なる神によって定められた十字架の死、神のさばきを意味しています。
イエス様は、できるならばこの十字架の道をわたしから取りのけてください、と父なる神様に訴えられたのです。それは、イエス様の心の奥底からの、ありのままの祈りでした。

 私達も、神様の前に祈る時、どのような祈りをささげていますか。うわべだけ、形だけで祈っていないでしょうか。誰にも言えないようなことであったとしても、神様の前には心を開いて本音で、自分の心の奥底にある思いをありのまま祈る時、神様は私達の心の苦しみを全部受け止めて下さいます。

第三は、みこころに従う祈りです。
 イエス様は、「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(22:42)と祈られました。これこそ、祈りの真髄であり、イエス様の中には、人となられたご自分の思いと、父なる神様のみ心という二つの思いがありました。
御父の「みこころ」とは、最愛のひとり子を犠牲にしなければならない苦痛・悲嘆で、それはすべて、神に反逆して生きる罪深き人間を赦すためでした。父なる神様は、永遠の刑罰を受けるべき私たち罪人を救うために、罪無き御子のいのちを代価として差し出すことによって、すべての人が救われる道が開かれるということです。イエス様は、父なる神様を愛する愛と、罪人である私達を愛する愛のゆえに、ご自分の思いをささげて、父なる神様のみ心に従う道を選び取られたのです。

 私達も神様に従っていこうとする時、神様の思いと自分の思いが違う場合があります。二つの心のどちらに従うでしょうか。私を救うために、自分の思いを捨てて父なる神様のみ心に従ったイエス様の愛を思い、私達も神様のみ心に従う者とならせて頂きたいものです。

第四は、苦しみを伴う祈りです。
 44節に「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」(22:44)とあります。マタイによる福音書には、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(26:38)と弟子たちに語っておられます。このイエス様の死ぬほどの苦しみとは何だったのでしょうか。それは、すべての人の罪をご自分一人で背負い、罪人として十字架にかかり、神のさばきを受けて捨てられる、それは父なる神との交わりが断たれてしまうということでした。イエス様にとってこれ以上の苦しみはなかったのです。でもイエス様はその祈りの中で、耐えられないような苦しみに対して勝利され、「立ち上がり」(2245)、十字架に向かって、まっすぐに進んで行かれました。
ルカ22:44,45
22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
22:45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。

マタイ26:38
26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」

十字架を前にイエス様は一人、父なる神様の前に祈られました。それは、父なる神を愛し、罪人である私達を愛するゆえのイエス様の苦しみの祈りでした。ゲッセマネにおける死ぬほどの悲しみ、苦しみの祈りなくして、十字架の道と栄光ある勝利の道はなかったのです。それ以上に、私達への罪からの救いの道が開かれなかったのです。

私達の人生で、たとえ、苦しみから逃げ出したい、死んでしまいたいと思うようなことがあったとしても、イエス様の、この祈りを思い起こし、そこにある真実の愛によって、神様のもとへ行く時、神様は、脱出の道と共に、み言葉によって私たちを慰め、勇気を与え、励まし、その苦しみを乗り越える力と助けを与えて下さいます。   
私達は、自分の負うべき十字架から逃げないで、イエス様の憐れみと助けを受けて、勝利するまで祈り求めましょう。

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