2008年3月30日 日曜日

すばらしい御国の約束を信じ、待ち望む

Filed under: 礼拝メッセージ — 牧師 @ 10時30分03秒

ヨハネの福音書14章1-2節

私達の教会で、昨年3回キリスト教式の葬儀をしました。愛する人、親しい人との別れは悲しく、つらいものですが、それでもクリスチャンの葬儀には希望があります。なぜか。それは天国の約束があるからです。そのことを今日は考えてみましょう。

第一は、イエス・キリストの約束(ヨハネ14:2,3)です。
 十字架にかかる前、イエス様は弟子たちに約束されました。それは、ヨハネ14章2,3節の「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」と。

 十字架の死の三日後によみがえられたイエス様は、私達のために救いを完成して下さいました。ですから、イエス様を自分の罪からの救い主と信じる者は、罪が赦され、神の子とされ、永遠のいのちが約束されています。「永遠のいのち」とは、死んだあとにいのちがずっと続くという意味だけではありません。「永遠」という言葉は、「神」ご自身のことを別の形で表現したものでもありますから、永遠のいのちとは、神のいのちのことです。つまり、今地上で生きているこの段階から、新しい神のいのちに私たちが満たされて生きるようになるのです。

 でも、地上の人生の死後に神の国(天国)で神と共に永遠に生きることができるという意味であることも間違いありません。私たちの救いは、やがてイエス様が再びこの世に来られ、世の終わりを迎えて後、天国で生きるようになって、最終的に完成するのです。

第二は、新しい天と新しい地(黙示録21:1-4)です。
 よみがえられたイエス様は、再びこの世界においでになると聖書は約束しています(lテサロニケ4:16,17)。その時、イエス様を信じて死んだ人たちはよみがえり、生きている人は朽ちないからだに変えられます。そして、新しい神様の御国に招かれるのです。神様は、使徒ヨハネに、その新しい世界の幻をお見せになりました。
lテサロニケ4:16,17
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

黙示録21章1-4節に「私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」と。

 聖書は、天地創造の記事から始まり、創造主なる神は天と地を造り、そこに人を住まわせ、時の流れ、歴史の営みを進めて下さいました。
 その歴史の中で人間は罪を犯し、神から離れましたが、神は救いのご計画を備えて下さり、イエス様は、十字架の贖(あがな)いを完成して下さいました。イエス様の贖いを信じる者達は、卑しいからだを、栄光のからだに変えて下さるのです(ピリピ3:21)そこには新しい創造があります。そして、今私達が生きている世界の天と地は過ぎ去って、新しい天と地が現れます。
ピリピ3:21
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 こういうわけで、私たちが最終的に頂く救いの完成された状態を「新しい天と地、新しいエルサレムで、神と共にいつまでも住むことができるようになる」と表現しているのです。
 その場所が具体的にどのような場所であるかということより、神の祝福にどれほど豊かに満たされた場所であるかということに目を留めることが大切です。

第三は、新しい都とはどんなところでしょうか(黙示録21:9-22:15)。
 黙示録21章11節に「 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。」と。12-21節には、都の城壁や門がたくさんのすばらしい宝石によってできていると書いてあります。これが新しい都、天国です。

 この都には、神様を礼拝する神殿がありません(21:22)。なぜなら、神様ご自身と小羊なるイエス様が、おられるので必要なく、太陽も月も夜もありません(21:23)。神様の栄光が都を照らしているからです。そして、12の門はいつでも入れるように、閉じられることなく(21:25)、そこにはいのちの水の川が流れていて、そのほとりの木にはいつもさまざまな実がなり、豊かな緑の葉が人々を癒やします(22:1,2)。このような素晴らしい都で、人々は神様とイエス様のお顔を仰ぎ見ながら礼拝し、賛美をささげ、いつまでも幸せに暮らすのです。
黙示録21:22,23,25
21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

黙示録22:1,2
22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

第四は、いのちの書(黙示録21:27,ヨハネ14:1-3)です。
 それでは、天の御国には、だれでも入ることができるのでしょうか。黙示録21章8節や27節に、「しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。」と記されていますように、うそをついたり、悪いことをしたり、人を許せない、さばく心を持ったままでは、天の御国に入ることができません。でも、イエス様が、自分の罪を赦すために十字架にかかって下さった救い主であることを信じるなら、すべての人は、「小羊のいのちの書」に名前を書いて頂くことができるのです。
黙示録21:8
21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

イエス様が私たちのために用意して下さった住まいは、地上のどんな場所よりも素晴らしいところで、あまりの素晴らしさに私達はきっと息をのみ、イエス様を信じてよかったと心から感謝するに違いありません。そこでは、イエス様を信じて先に召された人たちとも会うことができますし、イエス様の弟子たちや聖書に出てくるいろいろな人に会うこともできるのです。必ずその日が来ることを信じて、今のこの世で神様に従いつつ、喜びをもって歩んでいきましょう。

第五は、御国を信じる(使徒1:3-11)ことです。
 人類はずっと死後の世界に不安と恐怖を抱いてきました。いろいろと想像して語ってきましたが、見てきた人は誰もいません。ただイエス様だけが、使徒1章3節から11節を見ますと、復活の後、40日間神の国のことを語り、天に上(あげ)られました。この世界はやがて終わり、神の国がやってきます。その神の国に私たちが招き入れられ、永遠に神を礼拝し、神に仕えることが聖書の私達に対する最後の勧めです。その御国を信じますか。それこそが大きな問題です。
 なぜまだ見たこともない未来を信じられるか。それは、1、聖書は、神の言葉だから、確実に実現します(マタイ24:25)。2、歴史の事実です。私達は未来を見ること、知ることはできませんが、歴史的・過去の事実によって、未来も神は、支配しておられることを知ることができます。

イエス様の十字架と復活は、私達を神の国に招き入れることが最終的な目的ですから、イエス様を信じ、イエス様が用意して下さった神の国に入るその日を、信仰をもって待ち望みつつ、すべての人が天国に入れるように宣教の業に励みつつ歩みましょう。
使徒1:3-11
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

マタイ24:35
24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

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