ただ恵みによって
エペソ人への手紙2章1-9節
私は杏の里教会牧師松橋芳一です。今日は、証しメッセージをさせて頂きます。
第一に、イエス・キリストと出会う前の私です。
私は、1949年7月25日新潟県上越市で生まれました。イエス様と出会う前の私には、喜びも平安もなく、生きがいや人生の目的がわかりませんでした。中学時代から、何のために生まれ、死んだらどこへいくのだろうと考えました。死の恐怖で寝られなかったこともありました。また私は完全な人間になりたい、きよく、正しくありたいなど、人生の真理を求めていましたが、わかりませんでした。
大学時代から寂しさを忘れるためにお酒を飲み、今生きているのだからやりたいこと、楽しいことをすればいい、死ぬ時は死ぬ時と思うようになりました。酒を飲まずにおれない、酒のために仕事をし、「自分で稼いで飲むんだから、人に文句言われる筋合いはない」と、聞く耳を持ちませんでした。しかし自分の好きなことをやればやるほど、心に空しさがつのり、ついには自殺すら考えるようになりました。
ようやく合格した獣医師を3年で勝手にやめ、調理師になり,それも勝手にやめて,昭和56年10月、特別養護老人ホーム「ナザレ園」に就職し、そこでイエス・キリストと出合ったのが、32歳でした。
第二は、イエス様の臨在に触れたことです。
私はそれまで何度となく両親から、「あなたは3才で命を失っていても不思議ではなかったのよ」と言われ、私の心の中に、なぜかわかりませんが、「神様は私にふさわしい働きを用意しておられるはず」と思いつつ,職を変えて,ついに「ナザレ園」に就職したのです。それは私の高校時代からの願いでもありました。
私は大人になったら,数学者か福祉施設で働きたいと願っていましたが、父は「妻子を養えるか」の一言であきらめていたからです。
その施設がキリスト教施設とは知りませんでした。私は以前から聖書を読んでみたいという願いがありましたので,スムーズに教会に行きました。何回か教会に行きました時,「あなたは神を信じますか」と牧師に言われ,「はい信じます」と告白しましたら,「では洗礼を受けなさい」と言われ、何が何だか分らず、昭和57年11月26日瓜連キリストの教会牧師K先生より洗礼を受けました。お恥ずかしいことですが,神を信じてはいましたが、真の神を知らず,イエス様の十字架もわからず、罪の悔改めもしませんでした。
そのような私ですから,洗礼を受けても酒飲みの生活でした。そのことを知ってか牧師は,遠回しに説教の中で、私に向かって、お酒を止めるように言うのですが、「何言っているんだ」と耳を傾けず,相変わらずお酒を飲み,寝て暮らす日々でした。しかし翌年の昭和58年5月14日その時もお酒を飲み、寝ていた時、イエス様の臨在に触れ、ただその前で泣き明かすばかりでした。その時から、自分で努力してもやめられなかったお酒から全く解放されました。これはただ神の恵みというほかありません。
第三は、ただ恵みによってです。
その後、私は、聖書の「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)のみ言葉によって、今まで疑問に思っていた人生の目的がはっきりわかり、多くの挫折や失敗をしていた、このような自己中心な罪人にすぎない私のために、イエス様は、十字架で死んで、よみがえられた救い主であることを信じ、罪を悔い改め、すべての罪を赦され、神の子とされ、永遠の命を頂いたことを感謝しています。
第四に、人は、恵みにより、信仰によって救われるということです。
エペソ2章を見ますと、神から離れている者は、みな「この世の流れに従い」「自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行な」(エペソ2:2,3)っている者です。こういう状態にある人は、神の言葉にさからい、欲望のおもむくままに満足を求め続けます。かつての私がそうでした。
エペソ2:2,3
2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
このように「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ」(2:5,6)ることが神のご計画です。罪を知らない神のみ子が、私達の罪のために十字架上で死んで葬られ、3日目によみの力を破って、よみがえられた。これは、私たちがキリスト・イエスにおいて、共によみがえらせられるための唯一の手段であり、キリストを死者の中からよみがえらせたのは、父なる神であり、イエス様は、すべてを父なる神にゆだねられて、救いの業がすべて成就したのです。
そのように、私達が救われたのは、私達の努力の結果ではなく、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないため」(2:8,9)です。つまり、神様は私が何かできるから救ってくれたんじゃない、私が救われたのは、ただ恵みによるのだということです。
今私には人生の目標があります。再びイエス様にお会いするという希望です。そして死の恐れから解放され、全く人生が変えられました。この永遠の生命とイエス様の愛を人々に知って頂きたい。そして、共にその喜びを分かち合いたいと願い、福音を伝えています。
至 キリスト兄弟団上田教会にて
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