神が用いた無名の弟子アナニヤ
使徒の働き9章1-20節
キリスト教の歴史において、最も有名な人物となるサウロのちのパウロの新生にあたり、その手助けをするように、神が選んで派遣されたのが、ダマスコ在住のアナニヤという無名の弟子でした。そのアナニヤを神は、どのように用いられたかを学びましょう。
第一は、迫害者サウロです。
サウロは、エルサレムに住む、イエス様を信じる人たちを捕まえては迫害し、それだけでは満足せず、他の町へ逃れていった人々をも捕まえて獄に入れるための権限を大祭司から授かると、その手紙を持ってダマスコの近くに来た時、突然、天からの光がサウロを照らしたのです。彼は地に倒れて「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4)という声を聞きます。サウロが「主よ。あなたはどなたですか。」(9:5)と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(9:5,6)と、復活のイエス様がサウロに現れたのです。「目は開いていても何も見えな」(9:8)くなったサウロは、「手を引いて、ダマスコへ連れて行」(9:8)かれますが、「彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いも」(9:9)せず、ただ「祈っていま」(9:11)した。
使徒9:4,5,6,8,9
9:4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
9:5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
9:8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9:9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
第二は、主の律法に忠実なアナニヤです。
紀元30年頃にエルサレムに誕生した、イエスをキリストと「信じた者の群れ」(4:32)は、32年頃ステパノの殉教に続いて「エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされ」(8・1)、その一部はエルサレムから240キロメートルほど北方にあるダマスコに逃れました。ダマスコは交通の大事なところで、オアシスに恵まれた商業都市として栄え、多くのユダヤ人が住んでいましたが、アナニヤも、迫害を逃れてこの町に来たイエスの弟子の一人で、ユダヤ人であり、「律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良い」(22:12)人でした。
使徒4:32
4:32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
使徒8・1
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
使徒22:12
22:12 すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
イエス・キリストの福音は、「律法の行いによる義」を追求するユダヤ教の限界に打ち勝つものですが、決して主の律法を否定するものではなく(マタイ5・17~20)、神は、主の教えと戒めに忠実な人を重用されるのです。
マタイ5・17~20
5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
5:19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
第三は、主のみ声を聴くアナニヤです。
サウロがダマスコの近くで主イエスに出会って、目が見えなくなり、市内の家にいた時に、アナニヤは「主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。「すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」(9:11)と命じます。
しかしアナニヤは「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」(9:12,13)と答えます。
パリサイ派の伝道者サウロは、イエスの弟子たちを異端と断定し、「この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るため」(9:2)にダマスコに来たのです。「主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて」(9:1)近づいてくるサウロを、ダマスコにいるキリスト信者たちは、非常に恐れて、警戒していました。アナニヤが異議を唱えたのも無理はありませんが、そういう中でも、神のしもべは、「王なる神」の命令に忠実に従がうことが大切です。
使徒9:1,2
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
第四は、神の恵みに生き、イエス様に用いられたアナニヤです。
イエス様はアナニヤを諭され「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(9:15,16)と告げます。それは、キリスト信者たちを迫害していたサウロがキリスト信者、それも伝道者となり、逆に迫害を受ける者となる。それが主の計画でした。
そこで深い神の御計画を知ったアナニヤは、人のうわさよりも主のお言葉を信じて、サウロの所へと出かけ、家に入り、サウロの上に手を置いて、「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようにな」(9:17,18)リました。
サウロの「目が見えるようになった」のは、単に肉眼のことだけを言っているのではなく、彼の霊の目も開かれたということです。その証拠に勇気と決断によって「彼は立ち上がって」(9:18)、神の前に今までの罪を悔い改め、「罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によって」(2:38)「バプテスマを受け」(9:18)たのです。
使徒2:38
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
使徒9:18
9:18 するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
第五は、神のくすしきみわざと真理です。
こうしてクリスチャンサウロが誕生し、全く新しい人へと造り変えられ、ダマスコにいる信徒の交わりに加わり、その後、ダマスコの諸会堂で、イエスは神の子、キリストであることを宣べ伝え始めました。それを聞いた人々は、驚き、うろたえましたが(9:21,22)、ここで、神様は、私達に2つのくすしきみわざと真理を教えています。
使徒9:21,22
9:21 これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」
9:22 しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。
その1、無名の器でも、神は大いに用いて下さるということです。
神が一人の人を神の器として用いようとされる時、その者のために、先に選ばれた人を神はお用いになられるということを教えています。史上最大の伝道者パウロの出現にあたって、アナニヤが果たした役割は、特別に大きかったと言えましょう。その当時、サウロに会うためには、相当の勇気を要したはずです。私達も、たとえ自分では大きな働きをなし得ないとしても、主のご計画の中で、どのように豊かに用いられるかわかりません。いつでも、どこでも、どういう形においても、主に用いられやすい状態でありたいものです。
その2、たとえ、頑固で、神に反逆する者でも、神は用いる器に変えて下さるということです。
「この人は、頑固で、神様を絶対信じない」と思える人でも、やがて神は、変えて下さるという希望があることを教えています。
また、サウロが新しい人として生まれ変わり、神様のために多くの働きをなすために、神様はまずアナニヤを用いられました。アナニヤはサウロにとって「兄弟サウロ」と挨拶した最初の友であり、神の言葉とみ心を伝えてくれた人でした。そのことによってサウロは再び立ち上がることができたのです。皆さんの周りで苦しんでいる人、悩んでいる人、弱っている人を勇気付け、立ち上がらせるために、神様は皆さんの名前をも呼ばれるかもしれません。その時、アナニヤのように、「主よ。ここにおります」(9:10)とお応えできる者でありたいですね。
使徒9:10
9:10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
私達も、無名な器にすぎませんが、人の評価は、パウロのような人を求めるでしょう。しかし、神の評価は、忠実な主の僕を求めています。パウロのような偉大な器の陰には、無名な祈りの器、忠実な僕がいたことを心にとめ、私達に出来ることを、そして、希望をもって忠実に歩ませて頂きましょう。
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