御霊に満たされて歩む
エペソ人への手紙5章15-21節
キリスト者の具体的な「歩み」として、「召しにふさわしく歩む」ことについて、エペソ5章から、第一回目は、「愛のうちを歩む」、第二回目は、「光の子として歩む」ことを学びましたが、今日は最終回として、「御霊に満たされ」(エペソ5:18)て歩む生活について学びましょう。良い歩みは、あくまでも聖霊が結ばせて下さる実であって、人間の努力によってできることではないからです。聖霊に満たされる時、私達は知識、感情、意志のすべてにおいて整えられ、豊かな実を結ぶことができるのです。
第一に、歩き方に注意しよう
私たちが何も自分で注意しないで生活していると、知らず知らずのうちに、闇の中に入ってしまうことがあります。もう一度、闇の中の生活について見てみましょう。それは、5~6節に「不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです」と記されています。つまり神様以外のものを神様として拝んだりする人は、真っ暗な闇の中で生活しているのです。
特に、今の時代は、「悪い時代だから」(5:16)こそ、「よくよく注意し」(5:15)て日々の生活を歩むことが大切です。
エペソ5:15,16
5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
第二に、賢い者のように歩む、それは、神様の御旨を悟ることです。
旧約聖書の箴言1章7節に「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」とありますが、この意味は、神を敬い、神の意志に服従することであり、知識とは、神の真理を正しく理解することです。また、知恵とは、単なる知識を指すのではなく、神に喜ばれる生活をするための実際的判断力を指します。ヤコブも、3章13~18節で、「上からの知恵は」、神の知恵であり、「第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせ」(ヤコブ3:17,18)ますが、「地に属し、肉に属し、悪霊に属する知恵は、ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないが」(ヤコブ3:15,16)伴い、真理にさからっていると言っています。
ヤコブ3:13-18
3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
ここでパウロが言う「賢い人のように歩」(5:15)むとは、学識ある者になれとか、聡明になれとかいう意味ではなく、「神にならう者」として生きることであり(5:1)、「キリストの福音にふさわしく生活」(ピリピ1:27)することです。そのためには、「機会を十分に生かして用い」「主のみこころは何であるかを、よく悟り」「御霊に満たされ」ることが大切です(5:16-18)。主とはイエス様のことですから、「イエス様が何を望んでおられるのかを知るように」とパウロは勧めているのです。それは、聖書に記されているイエス様の言動を知ることによってわかります。聖霊は理性を否定なさいません。むしろ、私達が聖書を読む時、それを正しく理解する力を与えて下さるのです。
エペソ5:1,17,18
5:1 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
ピリピ1:27
1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
第三に、「御霊に満たされて」です。
イエス様に喜ばれる賢い者の生活は、自分で頑張っても出来ません。かえって、自分が頑張れば、頑張るほど出来なくなって、かえって空回りして、気持ちが暗くなってしまいます。賢い者としての生活の秘訣は、御霊に満たされることです。御霊は、いつも、どこでも皆さんと共にいて下さいます。また、イエス様を罪からの救い主と信じる皆さんの内にもいて下さいます。そして、皆さんに力を与えて、イエス様に喜ばれる生活が出来るように助けて下さいます。
次にパウロは、「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」(5:18)と命じています。キリスト者は酒を飲まなくても楽しいです。なぜなら、御霊に満たされると、嬉しくなり喜びが心からあふれてくるからです。聖霊は私たちの感情に働かれ、「詩と賛美と霊の歌」(5:19)が口から出てくると同時に、「互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美」(5:19)を神様にささげることができるのです。
エペソ5:19
5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
第四に、意志の決断によって、互いに仕え合うことです。
賛美は、ただ感情的に高める(高揚する=こうよう)ためだけでなく、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝」(5:20)することが大切であり、賛美をするのは、感謝があるからです。しかも「いつでも、すべてのことについて」感謝するためには、意志的な決断が必要です。神が「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8・28)ことを信じなければ、そのような感謝は生まれません。御霊に満たされる時にはじめて、すべてに感謝できるようになるのです。
エペソ5:20
5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
ローマ8・28
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
感謝があると、「キリストを恐れ尊んで、互いに従」(5:21)うこともできるようになります。弟子たちの足を洗われたキリストを恐れ敬い、尊ぶなら、謙遜に、しかも感謝をもって仕えることができるはずです。御霊に満たされるなら、キリストの思いが心いっぱいに広がるからです。しかし、これにも意志的な決断が不可欠です。
エペソ5:21
5:21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。
信仰には、意志が大きく関わっています。キリストを救い主と信じるのは意志的な決断であり、イエス様に従っていこうとするのも、聖霊が共にいて下さると信じるのも、自分の意志によることですが、その決断ができるように、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださ」(ピリピ2:13)います。御霊は、私たちが自分の意志で決断するのを助け導いて下さるお方なのです。
ピリピ2:13
2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
第五に、クリスチャンの行動原理は、自分の存在を明確にすることです。
私たちクリスチャンの行動原理は、神のみこころであり、神の栄光を現すことができるかどうかが行動の基準です。イエス様が人間となられた(受肉=インカネーション)目的は、父のみこころを行うことでした。イエス様は、「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ4:34)と明言しておられるように、私達も、自分の存在の目的を明確にしなければなりません。
ヨハネ4:34
4:34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
当時も「悪い時代」(5:16)であったと記されていますが、現代もまた邪悪な時代です。そのうえ、神の救いの計画が進められ、「主の日/再臨の日」が着々と近付いています。科学者の見地からも、地球人類の終末が論じられています。したがって、私たちは残された機会を生かして用い、主のみこころを実践しなければなりません。そのために、私たちは常に御霊に満たされ、主に礼拝をささげ、奉仕に携わる生活をするように勧められています。御霊に満たされるということは、私たちの霊と体が、全く御霊の支配のもとに置かれ、しかも常にそのような状態にあることです。そして、日々昼も夜も、主に向かって心から歌い、賛美する生活を送ることが大切です。これこそ、主にある賢い人の生き方です。
3回にわたって、神に召された者としてふさわしい歩みとは、何かを学んできましたが、結論として言えることは、己に死んで、御霊に自分の意志を明け渡して従って歩む日々こそがその基本ということです。その時、御霊の実は豊かに結ばれていきます。これを理解し、賢い者として、いつもイエス様を信じて従い、天の父なる神様に祈り、御霊に満たされて歩んで行きましょう。
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