人生の根本問題とイエスとの関係
ヨハネの福音書16章28節
今日は私たちの人生の根本問題について考えてみましょう。
第一は、私たちの人生の根本問題です。
私達の人生で、学校教育では学べない、特に青春時代に誰もが体験し、疑問に感じ、さまぎまな書物を読んでも、哲学や唯物論や進化論でも、どうしても答えが見いだせない6つの人生の根本問題があります。
その1、神とはどういうお方かです。
私たちの信じる神は、天地万物を創造され、私達をも造られたお方です。「人間が作った神々」か「人間を造った唯一の神」(1テモテ2:5)かです。では、神を信じる根拠、土台は、1,この宇宙と世界の存在、これらは偶然の産物でしょうか。もしすべてが偶然の産物だとするなら、私たちの存在そのものも偶然です。そうするなら、生きる目的・意味、存在価値、自分自身の大切さ、愛する、愛されること、人格そのものが否定されてしまいます。2,歴史的事実です。3、みことばの成就です。それによって、神を知ることができます。
1テモテ2:5
2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
その2、どのようにして生まれたかです。母の胎内から生まれたと言いますが、詩篇139:13に「それはあなた(神)が私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」と、人間は、神が創造されたのですから、生きる価値があり、尊いのです。
詩篇139:13
139:13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
その3、何のために生まれたかです。物質は、人間のために作られています。私達人間は、物質以上です。すべての人には、生きるのに意味と目的があると同時に、そのために賜物が与えられています。
その4、自分の心の内には言い知れぬ暗闇があります。それは罪という暗闇です。
いつも困惑とむなしさが心を覆い、しまいには「死にたい」とさえ思うようになります。自分自身をどんなに見つめようとしても、その正体は底知れぬ闇の中に隠され、自責の念にさいなまれるのです。
その5、どうすれば悪からの誘惑に勝って、きよい生活を送れるかです。
学生は、学校にいる間は、なんとか悪の誘惑から守られますが、いったん社会に出ると見る見る堕落の道をたどるという例が少なくありません。心から悪を憎み、将来はきよい生活が送れるようにと切望しますが、自分のカではできません。そんな自分の望みとは裏腹に、心の中にあるドロドロとした矛盾が私達にあるのです。
「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:10,11,23)、私たちは生まれながらにして、罪の性質を持っているのです。
ローマ3:10,11,23
3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
その6、死の問題です。死後どこへ行くかです。死んだら終わりなのか。いったい死後の世界はあるのか、霊魂なるものは存在するのか、しょせん人は死んだら、草木が朽ち果ててしまうように一切が無に帰してしまうのではないか……。初めと終わりは、何もこの世界のことだけではありません。私たちにも初めがあり、終わりがあります。私たち人間はお母さんから生まれ、いつの日か必ず死んでいく存在なのです。聖書やキリスト教には、仏教でいう「前世」とか、「輪廻転生」という考え方はありません。つまり、人生はたった一度しかないのです。だったら、自分の好きなように、思い通りに生きようと考える人もいますが、それはつかの間の楽しみにすぎず、むなしさだけが残ります。
第二は、イエスと私たちとの関係です。5つ考えてみましょう。この5つは、私たちでは解決できない人生の根本問題と関わっています。
イエス様のことが、ヨハネ16:28の「わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。」というみことばに示されています。イエス様は、①どこから来られたか。神のもとから来られた。②何のために来られたか。1ヨハネ4:9,10を見ますと、私達の罪の身代わりとして、十字架で死ぬためでした。③どこに行くのか。それは父なる神のもとに帰るということです。それをもっと詳しく5つの面で考えてみましょう。
1ヨハネ4:9,10
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
その1、「罪を犯したことがなく」(1ペテロ2:22,ヘブル4:15)「罪を知らない」(2コリント5:21)イエス様が、この地上に人となって来られ、罪からの救いの業をなしとげられ、完成されて父なる神様のもとに帰えられたということです。
十字架上で、「完了した」(ヨハネ19:30)と言われたイエス様は、私達の永遠の救いのために必要な、すべてのことを完成されて、天に帰られたのです。罪からの救いと闇に打ち勝つ力と永遠の命は、悔い改めて信じることのほか、何もいりません。すべてが愛の十字架によって成就されました。
1ペテロ2:22
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ヘブル4:15
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ヨハネ19:30
19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
その2、天に帰られたイエス様は、今や.天のくらいから地上の私たちに、必要なすべてのよきものを与えて下さるということです(ヨハネ16:23,24)。
ヨハネ16:23,24で語るように、天におられるイエス様のもとには、恵みと祝福と力が満ち満ち、イエス様を信じる私たちに、聖霊の助けと信仰によって、それを惜しみなく注いで下さいます。
ヨハネ16:23,24
16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
その3、人生には、苦難・試練があります。
しかし、「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)。そして、キリストのみ姿へと変えて下さいます。それは、その人を愛するゆえになさることです。
その4、「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)と語るように、キリストは、私達のために死に、よみがえり、今も生きていて執り成して下さっていますから、誰も私達を罪に定めることはできないのです。なぜなら、神が私達を義と認めて下さったゆえに、誰も訴えることはできないのです(ローマ8:30,31,2コリント5:21)。
ローマ8:3031
8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
2コリント5:21
5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
その5、死の恐れからの解放です。
魂は、永遠です。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)と語っていますように、イエス様を救い主と信じる人は、永遠の命が与えられ、そうでない人は、永遠の滅びです。
キリスト者にとって、死は永遠への通過点にすぎないのです.死からよみがえられたイエス様と同じ栄光のからだにやがて変えられるのです(ピリピ3:20,21)。
ピリピ3:20,21
3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
人を欺いたこと、虚栄、恨み、わがまま、嫉妬、ごう慢、汚れた思いなど、自らが神の前には一人の罪人であることを認め、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し」(1ヨハネ1:9)、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ」(1ヨハネ1:7)て下さいます。それによって、私たちの人生は根本から変えられ、人生の目的がはっきりします。何のために生きるか。それは神を認め、信じ、神と共に生きる人生こそ、罪赦されたものに与えられる最高で、永遠の喜びなのです。
1ヨハネ1:7,9
1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
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