杏の里教会

証し

神様を信じての証し集です。
活ける神様が、個々人の人生に深く介入されることを知ることが出来ます。
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神様は人づくりの名人 牧師 松橋和子

私は、現在59歳です。15歳の時にクリスチャンになりました。結婚したのは、47歳の時でした。聖書に「この世のとるに足りない者や見下されている者、無に等しい者を、神は選ばれました」とありますが、私は、そのことば通りの者でした。  実は、私は高校には行きませんでした。いや、行けなかったのです。貧しさもありましたが、それ以上に、学力がなかったのです。最低の高校でも入れないくらい、能力がなかったのです。

 ネは真面目な人間なので、先生の言うことは一生懸命に聞くのです。算数などは、新しい単元に入る時、先生は分かりやすく説明してくれますね。その時は、分かるのです。でも、じゃあ、この問題をやってみてください、と言われると、もう頭が真っ白になってしまうのです。国語の時間には、本を読まされますが、本当に読めないのです。通知簿も、見事なものでした。家族の中でも「この子は、仕方がないな」と思われていました。中学1年生の時に、一度、知能テストを受けたことがありました。制限時間いっぱい使って解答したのですが、低い結果が出て来ました。

 その時から、私は自分を責めることをやめました。自分を受け入れていこうという思いで、出来ないことを気にしなくなって、早く中学を卒業して工員になろうという思いでした。

実社会での訓練

 卒業してから、大手メーカーの下請けの工場で働くようになりましたが、両親の知り合いで「阪神機械」という会社に勤める方が、「和子さんを事務員に寄こして欲しい」と言われました。私は、とても事務などとれないから、「いやだ」と言いました。実は、上に3人姉がおります。その3人は同じ会社に勤めていました。ところが、姉たちの会社からは、「来い」と私に一言も言ってくれませんでした。「この子は、ダメだ」と思われていたのでしょうね。

 しかし、2番目の姉が、言いました。「和ちゃん、毎日同じことをしていたんでは、悪い頭がよけいに悪くなる。とにかく私が何でも教えてあげるから、声をかけてくれた会社に行きなさい。」

 押し出されるように、阪神機械に入社しました。先輩の事務員の方が「一」から教えてくれました。教え方が、非常に上手でした。でも私は、間違ってばかりなのです。どういう間違いかといいますと、例えば、位を間違うのです。万を十万にしてしまったり。営業の事務をしたのですが、毎日泣いていました。旧姓は古田といいます。「古田くん」と呼ばれると、「またか」と思いました。

 勤め出してから、そろばんを習いました。姉が、ひらがなと数字のお手本を書いてくれましたので、暇があったら練習しました。  その頃、私のいました大阪に、ボブ・ピアスという先生が来られて、大きな伝道大会が開かれました。クリスチャンだった母が、私を連れて行ってくれました。そこで信仰を持ち、教会に行くようになりました。そして、洗礼を受けました。不思議なことに、その月から仕事ができるようになったのです。注意をされなくなりました。

 献身を表明して退職するまで、その会社に3年近くいました。普通なら高校生活を送る時期に、その会社で働いたわけです。その中で、神さまは本当に生きておられる、ということを多く見せていただきました。退職する前には、あだ名が付いていました。それは、「女社長」(笑)です。

 神さまは、「人を作る名人だ」と言われます。自分を顧みて、本当にそうだと思います。

 例えば、働いている時の話ですが、工場に電話がかかって来ますね。そして「工場長を呼べ」って言われます。それで、工場長を呼びに行くと、「何の用だ」ってどなられます。こちらは、分かりません。中学を出たくらいの子どもに、お客さんは用件までは言ってくれません。しかし、工場長の方は、「いちいち電話に出てたら、仕事にならん、お前、聞いとけ。」と言われます。

 私は、そういう中で、工場に自分で入って行きました。みんなの話していること、上司が言っていることを、できるだけ耳に入れるようにしました。そして、電話がかかってきた時には、「こういう用件ですか」と聞きますと、「どうしてお前に分かるか」と叱られるのですが、「これは、こうなっています」と返事をしますと、「よっしゃ、分かった」と答えて下さるようになりました。

君の代わりは3人必要

 「伝道者になるように」という神さまの召しのことばをいただいた時に、母に話しました。「これこれ、こういうみことばをいただいたんだけど、これは神さまからの召しかしら」と聞いたのです。すると、「メシもろくろく食べられないお前に、どうして召しが来るか」と言われて、それきりでした。確かにその頃、体も弱く食欲もない状態でした。もう、母には相談すまいと思って神さまに祈って、確信をいただいてから、会社を退職することになりました。

その時に、社長は言いました。「君の代わりに、3人は入れなあかんなぁ」

 神さまは、このように、ご自分が生きておられることを、頭ではなく、体で教えて下さいました。献身を表明してから実際に聖書学院に入学するまで、15年かかりました。神さまは、無学な者には無学な者のように、導いて下さいます。入学のために、健康診断書が必要で、健康診断を受けに行きましたが、「この体はなんだ。親を連れて来い」と言われました。肝臓と心臓が相当悪くなっていまして、「このまま大きな病院もない茨城県の聖書学院に入学するなど、自殺行為だ」と母は言われたそうです。

 32歳で学院に入学したのですが、それまでに、ある時などは病状が悪くて、牧師先生が葬儀の準備をするくらいでした。その肝臓が直ったのは医学的にも不思議なくらいで、現在エコーで見ると、肝臓病の痕跡はあるが、癒されていると言われます。一時は肝臓が肥大して腹水が溜まり、心臓は冠不全、その他数多くの病気を抱えていた時代があったのが嘘のようです。

弟の難病

 話は前後しますが、我が家で最初に信仰を持ったのは、母でした。今年90歳で、兵庫県の明石におり、毎週礼拝と祈祷会に出席しております。

 私が1980年に現在の教会に赴任してから結婚するまで、毎年1回は訪ねてくれました。庭を掃除したり、訪問してくれる人に楽しい話をしたりしてくれました。ある年、ちょうど母の日に重なりましたので、「世界一」という品種のりんごを母にプレゼントしました。「お母さんは、世界一」という意味を込めました。

 結婚してからは、主人に、もうあなたに任せるからと言って、来なくなりました。体力も限界だったのでしょう。

 私が、母に一番感謝しているのは、クリスチャンになってくれたことです。母がクリスチャンにならなければ、私は今頃どうなっていたことろうと思うのです。

 母が救われた当時、私の家は、貧しさのどん底でした。そのため、夫婦喧嘩も絶えない状況でした。その上、弟が重い病気にかかっておりました。脳腫瘍で、当時はMRIなどありませんから、病名すら分からない間に、頭痛がひどくなり、目が見えなくなり、話せなくなり、やがて体も、小児麻痺のように動けなくなってしまいました。耳だけは聞こえました。

 母は、様々な宗教に行きましたが、行った所ではどこでも、あなたの息子さんが直らないのは、信心が足りないからだ、お供物が足りないからだと言われたそうです。貧しかったので、僅かな奉納しかできなかったのです。医者からも見放されたので、弟は家に連れて帰りました。

 頭からは、膿がどくどくと出ました。脱脂綿を当てたガーゼを何度も取り替えなければならない状態で、私の家の前を通る方々は、「まだ生きているのか、今日死んだか」というような感じで通っていたそうです。

 しかし、ある方の紹介で、婦人牧師が家に来てくれるようになりました。母は、弟がなくなるまで、死ぬとは考えなかったそうです。癒されることを願って、牧師も信徒の方々も、必死に祈って下さいました。

 結局、癒されずに終わりましたが、母は、単に悲しむだけに終わることなく、息子は天国に行った、やがて再会できる、という希望が与えられ、立ち上がることができました。真っ暗だった家庭に、明かりがポッと灯るようになりました。

 私が信仰を持った動機も、弟のように天国に行きたい、という気持ちからでした。

 経済的には貧しさのどん底でありましたが、母は、聖書を読み、夜になると、2階に上がり、真っ暗な部屋で長く祈っていました。そのような姿を見ている時に、幸せに思いました。そして子ども相手に、難しい「黙示録」の話をしてくれるのです。子どもだから分からない、ではないのです。子どもは見ています。親の生きざま、親の信仰を。そんなことを言われたら、自分はとても子育てはできない、と思われるかも知れませんが、そんなことはありません。

 ある人が、「家族とは、不完全な者の集まりだ」と言われました。私も自分の家族と自分のことを見て、本当にそう思います。でも、その不完全な者を神さまにお捧げする時に、神さまは不完全な者を用いて、素晴らしい祝福を下さいます。

 母に与えられた信仰が、私に、また私の姉、父にと伝わり、3人の姉とその伴侶までが信仰を持つことができたのです。

Copyright 2003 ファミリー・フォーカス・ジャパン
 本文はファミリーフォーカス2003年春号に掲載されたものです。ファミリー・フォーカス・ジャパンのご好意の上、公開しました。

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主が共に歩んでくださったから Web管理人
 私が興味本位で教会に行ったのが、今から20年以上も前になります。その頃は、フォークソングが流行っており、教会には青年が沢山集っており、とても楽しい場所でした。みんな、これからの人生について、真面目に語り合ったものです。私は、教会にいっておりましたが、その頃は神様のことやイエスキリストの十字架の意味など、はっきり判らなかったのでしょう。それでも、洗礼という教会に属する儀式を受けました。洗礼を受けた後、教会の方から、「救われたネ」と言われましたがわかりませんでした。ただ、今も覚えているのは、洗礼式の前日、牧師に「明日の洗礼は受けたくありません。自分は、何をしても三日坊主、いまは教会に来ていたって、その内に来なくなると思いますよ。」と言ったのを覚えています。牧師は、とても慌てたのではないかと思います。しかし、翌日、私は洗礼を受けました。
その後、しばらくして、教会学校の教師補助をまかされ、聖書のことをお話する役となったのです。子供たちは、ある面でとても素直で、私のつたない聖書のお話をとても真剣に聞いてくれました。子供たちに聖書の話をすればするほど、自分が、どういう人間かを思い知らされるのでした。当時の歩みを振り返れば、友人には、偽善者呼ばわりされ、私も否定しませんでした。それは、「本当に神様がいるなら、そのことを信じさせてくれ。俺はこのままずっと、求道者なのか」という思いが私にあったためでした。

 丁度、その頃は、社会人になったばかりで、世間のこともよく分からず、会社では失敗ばかり、しかし、酒の席では上司を批判し、やることなすことは子供じみた我が侭放題をしていました。従って、職場の上司からは、「だめな奴!」、「どうしようもない奴」で言われていました。そのため、自信をもって仕事もできず、どんどん自分を追い込んでしまいました。鬱状態が続き、職場を後にしたのです。そして、もう、こんなに自分を裁くようなところ(=教会)には行きたくないと、逃げる思いで教会から離れたのです。しかし、教会から離れた後、牧師先生は、何度も電話や訪問をしてくださいました。居留守を使ってでも、私は絶対に会いたくありません。こんなことをしていたら、家族からも、何度も叱られました。

 私は、自分を変えたいという思いから、もう一度、学生をやりなおすことにしました。それは、「認めてもらうには学歴が必要」、「だめ人間と言っていたやつらを見返そう」という考えがあったのだと思います。そして、これを機に、もう完全に教会と手が切れたと思うようになりました。だけど、当然かもしれませんが、例え学生になっても、自分というものは変わりません。「ここにきて、俺はいったい何をしているんだろう。」と思いました。毎日、酒びたりの学生をしていました。

 そんな頃、住んでいた下宿のゴミ箱に教会の特別集会案内が捨ててありました。私は、そのチラシを拾い、久しぶりに教会の伝道集会に出席しました。私は、後に、日曜日の礼拝にも出席するようになりました。チラシを配っていた人は、同じ下宿のクリスチャンで、私が以前に教会に行っており、既に洗礼も受けていた者であることをその教会の牧師先生に伝えていたようです。

 教会の聖餐式礼拝で、私は聖餐を受けないことにしました。それは、もう十分に私がどんなに汚い心の持ち主か、どうしようもない者か、神様を裏切ってきた者であることを知っていました。だから、私は、とても聖餐式を受けるに値しないと思っていました。

あるとき、牧師先生に、どうして聖餐を受けないのかを問いただされました。私は、自分のいままでを話しました。しかし、牧師先生は、「今のあなたこそ、聖餐を受けなければならないのです。」と答えられました。「イエス様はあなたのために、十字架で血を流され、体を裂かれました。そして、聖餐式はそれをすなおに受け入れることなのです。私たちは、誰でも神様のこの恵みを受けるしかないのです。」と仰られました。私は、今までのことをその場で悔い改め、神様の恵みをそのまま受け入れることを決心しました。神様を信じることは、正しく清い生活を行わなくてはいけない、正しい人間でなければいけないというのではありません。神様が、そのままの姿で受け入れて下さることを信じ、その神様の愛に飛び込めばいいのでした。

 それからも、私は多くの失敗や挫折を通ってきましたが、その都度、神様は私を愛し、引き戻されてきております。

 私は、妻と結婚するときに、すばらしい神様の導きを体験しました。偶然ではなく、神と祈りを共にしていく中で、神様が私に道を開いてくださり、躊躇していると、更に追い討ちをかけるように導かれました。また、今の長男が誕生する一年前に、神様からの啓示を頂いたこともありました。

そして、ある晩、私に対する神様の迫りがありました。そのとき、私は神様を裏切ったり、悲しませてしまったりしてきたことを深く悲しみましたが、なおも、私のすべてを包み込もうとしてくださる神様の御愛に、ただ、男泣きに泣き崩れたことがあります。

私は、神様の御愛に触れるとき、何ものにも代え難い平安とやさしさ、大きな喜びを受け、感動します。これらの体験は、私に生ける真の神様の存在を深く知らしめる体験となっております。

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